『恐怖のむかし遊び キレイになりたい』(にかいどう青)

恐怖のむかし遊び キレイになりたい (講談社青い鳥文庫)

恐怖のむかし遊び キレイになりたい (講談社青い鳥文庫)

「恐怖のむかし遊び」シリーズ第3弾は、容貌がテーマ。スマートフォンのアプリで写真を修整するように自分の顔を美しくできる鏡を使って階級上昇する話など、容貌によるヒエラルキーが確実に存在している人間社会のリアルな嫌さが描かれたホラーが並んでいます。かと思えば、人々の顔がアルチンボルドの絵画のように見えるが好きな女子だけは普通の人間に見える男子の話という、『火の鳥』で読んだようなエピソードも出てきます。容貌というテーマが認識論のレベルにまで高められながらも、それがぬるっとずらされる展開の怖いこと怖いこと。
「恐怖のむかし遊び」シリーズ第2巻でにかいどう青は、文字遊びで恐怖を演出するという技を見せてくれました。その要素はこの本でも健在です。まず、目次のページですでに怖がらせてくれます。第1話と第3話、第2話と第4話のタイトルがそれぞれ対になっていますが、第2話と第4話の文字列の壊れ方がすさまじいです。

笑い女
いナいなイタいたい。
笑い男
痛いナ居たイない。

第2巻で視覚的に最恐だったのは、愛の言葉がみっしり詰まった50ページでした。第3巻で最恐なのは、似た文字がみっしり並んだ88ページです。古文の先生が黒板に「ゐ」の字を無数に書いたら怖かろうというところから、さらに文字列を崩壊させていきます。これはじっくり見ると本当に頭がおかしくなるやつなので、さっと読み飛ばした方がいいです。
第3巻では、二人称という実験もなされています。第4話はゲスな人物が語り手となる一人称小説ですが、突然「あんた」に呼びかけ、自分がいじめ被害者にやらせた罰ゲームの内容を予想させます。そして、「たぶん、あんたが思い浮かべたいちばんひどい罰ゲームが、それだから」といいます。これは、「あんた」(読者)をいじめの共犯者として強制的に巻きこんでしまう、非常に悪趣味な趣向です。
第2話は本格的な二人称小説になっています。「あなた」も信頼できない人物であり、「あなた」と呼びかける語り手の正体も不明。ひねくれた構造で怪談における二人称の可能性を検証しています。
佐藤春夫は「文学の極意は怪談である」と述べたそうですが、このシリーズを読むと児童向けに実験小説を書くならホラーがもっとも適したジャンルなのではないかと思えてきます。ただし、異常なまでの文学愛とセンスを持つにかいどう青でなければ、このような実験的なホラーを成功させることはできないでしょう。

『まえばちゃん』(かわしまえつこ/作 いとうみき/絵)

まえばちゃん (だいすき絵童話)

まえばちゃん (だいすき絵童話)

『まんまるきつね』が2006年、『花火とおはじき』が2008年、『わたしのプリン』が2009年、『星のこども』が2014年、そして待望の新作『まえばちゃん』がようやく2018年に出ました。『花火とおはじき』が日本児童文学者協会新人賞を受賞していて実力は証明されており独特のメランコリックな文体が固定ファンを獲得しているのにこんなに待たせるとは、川島えつこは罪深い作家です。
川島作品の特徴は文体の清澄にあります。あまりに透明感がありすぎるため内臓が透けてみえるようなタイプの美しさとグロテスクさを持っています。もうひとつ、出産など表面的には生命賛歌にみえる題材を扱っていても、常に耳元で「メメント・モリ」とささやかされてるかのように読者に思わせる根源的な暗さも大きな魅力です。川島作品で肉体は、やがて朽ちていくもの、もしくは捕食されるものとして扱われています。
低学年向けの絵童話『まえばちゃん』でも、その傾向は変わっていません。『まえばちゃん』は、いままで自分を見守ってくれたまえばちゃんとお別れして新たに生え替わったスーパーまえばちゃんと出会うという話です。この流れだけを取り出せば前向きな成長物語にみえますが、実態は違います。子どもたちがダンゴムシが脱皮した皮を食べるか食べないかというクイズをしている場面があります。主人公はそこから友だちが美容院で切ってもらった髪を連想します。それは美容師に捨てられたと聞くと、もったいない、ダンゴムシだったら食べちゃうかもしれないと思います。老廃物としての皮、髪、それを捕食するイメージ。まったくいつもどおりの川島えつこです。
川島えつこ健在。次の作品はぜひ早急に読ませてもらいたいです。

『火狩りの王 一 春ノ火』(日向理恵子)

火狩りの王〈一〉 春ノ火

火狩りの王〈一〉 春ノ火

ポスト・アポカリプスSF児童文学のシリーズがスタート。最終戦争後の世界は黒い森に覆われ、人々は結界に守られた小さな村でひっそりと暮らしていました。人類は戦争後、火に近づくと体の内部が発火して死んでしまう体質に改造されて自由に火を使うことができなくなっており、文明レベルは落ちています。だた唯一、炎魔と呼ばれる「かつて地上に棲息した哺乳類」に似たなにかから採取できる炎は、人体を発火させずに使用することができました。三日月型をした金色の鎌を操り炎魔を狩る人々は、火狩りと呼ばれていました。
なぜ人は発火するようになったのか、炎魔とはなんなのか、人類を統治している神族と呼ばれる者たち、それに敵対する蜘蛛と呼ばれる者たちは何者なのか、謎だらけの世界設定が読者を引きつけて放しません。特に興味を引くのは、「千年彗星」という人工の星です。それは神族と人が造った機械人形であり、「天の子ども」や「揺るる火」とも呼ばれていて、人類を火の呪いから解き放つ力を持つと伝えられています。空に浮かぶ子どもというイメージは、『空の怪物アグイー』や『AIR』のようでロマンチックです。
主人公の灯子は、紙漉きの村に住む11歳の少女。炎魔に襲われていたところをひとりの火狩りに救われます。火狩りは炎魔との戦いで死亡、灯子は形見の鎌と守り石と狩り犬を返すため、首都の工場から来る回収車に乗って旅立ちます。
回収車にはよその村に嫁ぐために移動している女たちが乗り合わせていました。『マッドマックス4』『けものフレンズ』『ケムリクサ』など、近年のヒット作には女子集団が乗り物で旅をするロードムービーが目立っているので、時流に乗っている感じがします。魔物なのか神なのか、常に獰猛な異形のものたち危険にさらされる旅路は、一瞬も気を抜くことができません。シリアスモードのあさのあつこを思わせる硬質な文体が、作品世界の緊迫した空気を過熱させています。
このまま冒険小説として盛り上がっていってSF設定がきれいに回収されたなら、長く語り継がれるシリーズになりそうです。イラストにヒットメーカーの山田章博を起用したりtwitterに公式アカウントをつくって宣伝したりと、出版社もかなり力を入れてプロモーションしているようです。ぜひ成功作になってもらいたいです。

『ジグソーステーション』(中澤晶子)

ジグソーステーション

ジグソーステーション

毎日無数の人々が利用するローマのパンテオン風の巨大駅。行き交う人はみなストレンジャー。であるなら、その場所そのものも異界めいてきます。
(作中では明言されていないが)東京駅を舞台にした90年代の奇怪な児童文学の改訂版が出ました。なにが奇怪かというと、まずさまざまな文化、さまざまな人々が入り乱れる東京駅という場を魅力的に描き出すことにより、なんともいえない味わいを出しているところです。
そして、そういう空間を縦横無尽に動き回る主人公もなかなか奇怪な人物に設定されています。主人公の真名子は、学校が嫌いでいつも東京駅を遊び歩いています。駅の売店で働く人や駅に住んでいる「浮浪者」と呼ばれるような人とも顔なじみになっています。彼女の語る身の上話はどこまで信用していいのか判然としませんが、生まれはバグダッドで母は占い師、本当は小学5年生だけど4年生として学校に通っているとのこと。とらえどころがありません。
序盤の名シーンは、真名子が元は大企業に勤めていたために「支店長」というあだ名をつけられている浮浪者とともに自転車で駅のなかを爆走するところです。やろうと思えばできそうだけどやったら絶対こっぴどく怒られる、ちょうどいい具合の悪事です。人に迷惑をかけまくるし最終的に駅員に捕まって保護者を呼ばれてしまうんですけど、やっているあいだは後ろめたい爽快感があり、読者の心を解放してくれます。
猫がすり抜けるように鍵のかかっている扉のむこうに消えていく様子を真名子が目撃するところから、物語は本格的に奇妙な世界に入っていき、人々の思いと記憶を背負った巨大駅の有様が浮かび上がってきます。
発表時から30年近く熟成されているため、当時読むのといま読むのでは味わいも変わってくるでしょう。たとえば、真名子は駅にある暗証番号式のコンピュータ伝言板を使って支店長と遊ぶ約束をしています。いま読むとこれがいい感じのレトロフューチャーなアイテムにみえます。ぜひ、東京駅に造詣が深い人にこの作品を詳しく解説してもらいたいです。

2018年の児童文学

2018年の児童文学界最大の話題は、複数の映画賞を受賞し高い評価を受けた劇場アニメ『若おかみは小学生!』の大ヒットでした。そのノベライズ版を原作者の令丈ヒロ子自身が書いたというのも、興味深い実験でした。アニメーションに翻訳された小説がさらに小説に再翻訳されたことで、21世紀の青い鳥文庫を代表するこの偉大なシリーズの持っていた可能性がさらに掘り下げられることになりました。
五年霊組こわいもの係(13) 四十六の想い、天を翔ける。 (角川つばさ文庫)

五年霊組こわいもの係(13) 四十六の想い、天を翔ける。 (角川つばさ文庫)

アニメは視覚を主体としたメディアですが、紙の本も視覚メディアとしての側面を持っています。特に、本文と挿絵の融合を得意とする児童文学は、物語を「見せる」ことにかけては、決してアニメに引けをとっていません。そのひとつの成果として、生え抜き作家がシリーズを全14巻できれいに完結させ角川つばさ文庫史に記念碑を打ち立てた人気シリーズ『五年霊組こわいもの係』最終巻の208・209ページおよび234ページ・235ページの見開きを確認してください。読者の視線を巧みに誘導しスピーディーに物語を「見せる」ダイナミックな画面の構成は、それだけでひとつの芸術作品となっています。
ルソンバンの大奇術 (福音館創作童話シリーズ)

ルソンバンの大奇術 (福音館創作童話シリーズ)

『ルソンバンの大奇術』も視覚効果が計算し尽くされた作品でした。カバーイラストに幕を掛けることをはじめとした本を劇場化する仕掛けにより、落ちぶれた奇術師が再起を目指す物語のペーソスが極限まで高められています。
続 恐怖のむかし遊び (講談社青い鳥文庫)

続 恐怖のむかし遊び (講談社青い鳥文庫)

本における絵は、挿絵のみではありません。文字もまた、視覚を刺激する絵なのです。異常なまでの文学趣味で固定ファンを得ているにかいどう青は、古今東西の実験小説の成果を知り尽くしているはずです。それらを踏まえたうえで、視覚によって恐怖を煽るホラーを成功させています。文字の暴走によって、作中人物の狂気が目に見えるかたちで提示されています。
文学はテキストのみによって成り立つものなのでしょうか。読者は文字情報だけでなく、挿絵・装丁・本の重量なども楽しみ、あらゆる感覚を動員して読書を体験しています。挿絵の役割の大きな児童文学なら、なおさらでしょう。2018年は「見せる」ということに工夫を凝らした作品が目立ったので、そんなことを考えさせられたのでした。
それでも人のつもりかな

それでも人のつもりかな

新人の作品でもっとも印象に残ったのは、これでした。小林一茶の「ハンノキのそれでも花のつもりかな」という句をモチーフとし、家庭でも学校でも人間として尊重されることなく育った主人公の内面を、荒く尖った文体で描ききりました。
マネキンさんがきた

マネキンさんがきた

ベテランの安定した力をみせつけたのは、村中李衣。小学校の教室で小学生たちがマネキンを飼育するという不気味な設定が読者の興味を引きます。クラスで虐げられている子どもがマネキンをダンスをする幻想的な光景がみどころです。
ドエクル探検隊 (福音館創作童話シリーズ)

ドエクル探検隊 (福音館創作童話シリーズ)

90歳を超えるウルトラベテラン作家による力作も誕生しました。昭和十年の日本の少年少女が、南米ペルーまで幻の古生物ドエディクルスを探す旅に出る物語です。著者の専門知識が生かされた動物ものの冒険小説として一級品です。終盤に語られる終末神話めいた凄惨な動物黙示録には圧倒されます。
ヤイレスーホ

ヤイレスーホ

『ヤイレスーホ』は、アイヌ神話を元にしたファンタジー『チポロ』の続編です。オーソドックスな英雄譚だった『チポロ』に対し、『ヤイレスーホ』は英雄にはなれない者たちの感情にスポットライトが当てられています。魔物の呪いを恩寵と感じる少女の感情や自分が監禁していた少女に魔物が抱いた複雑な感情など、いびつな感情に美しい救済が与えられます。
ウシクルナ! (飛ぶ教室の本)

ウシクルナ! (飛ぶ教室の本)

児童向けエンタメの新たな可能性をみせてくれたのは、この作品。ストーリー自体は、貧乏な少年が音楽で成り上がって家族の再生を果たすというありふれたものです。ただし、ドタドタとダンスをする関西弁のウシやバズーカをぶっ放すお嬢様といったわけのわからないなキャラクターを暴れ回らせ、ハイセンスなギャグを連発することで、意味不明なまでの突破力を獲得しています。その突破力によって、ありふれた物語を普遍性と斬新さを兼ね備えた強度のある物語に変貌させています。
風がはこんだ物語

風がはこんだ物語

『風がはこんだ物語』は、物語ることをめぐる物語です。難民を乗せた粗末なボートという過酷な環境のなかで響き合う物語、ここに文学の持つ原初的な力が現れていきます。

その他今月読んだ児童書

スケッチブック (ティーンズ文学館)

スケッチブック (ティーンズ文学館)

第26回小川未明文学賞大賞受賞作品。小学5年生の女子が、亡き母に導かれるように遠野の供養絵に出会い、供養絵の作成に没頭するようになるという話。小学生が死と芸術に魅入られてしまうという不健全なテーマで、その宿命の輝かしさが暗くも清らかに描かれています。それだけに、主人公がコンクールの不正疑惑で絵を描くことが嫌になっていたという俗世のエピソードは不要であったのではないかと思います。海外で働く父が人気取りのためについた適当な嘘のせいでサムライガールにされてしまったかわいそうな女子の話の第2弾。異文化コミュニケーションに悩む父と日本の娘の人間関係の悩みをパラレルにしてその構造をわかりやすくしてします。難しい問題を軽やかに語っているところに好感が持てます。「とりこまれる」というのはシリーズを象徴するようなフレーズで、今回は読者自身が経験した怪異が書いてある「あなたの本」をめぐる物語になっています。このシリーズとしては珍しく割とはっきりした解決編がありますが、緑川聖司は元々ミステリの人なので、きれいに収束する結末もうまいということを見せつけてくれます。
昨日のぼくのパーツ

昨日のぼくのパーツ

アイドルはトイレに行かないというバカ話から、学校のトイレに行かない競争という小学校地獄イベントが始まり、それをきっかけに子どもたちが排泄の悩みについて考えるというストーリー。教材としては、こういう作品の需要はありそうです。ただ、さまざまな事例を出すことに汲々として、著者の持ち味である毒やユーモアがやや薄かったように感じられました。日下三蔵編による、テーマ別SF短編アンソロジーシリーズが汐文社から刊行開始。第1弾「時間篇」の収録作は小松左京「御先祖様万歳」 ・筒井康隆「時越半四郎」・平井和正「人の心はタイムマシン」・広瀬正 「タイムマシンはつきるとも」・梶尾真治「美亜に贈る真珠」・星新一「時の渦」。 第2弾「ロボット篇」の収録作は星新一「花とひみつ」・筒井康隆「お紺昇天」・矢野徹「幽霊ロボット」・平井和正「ロボットは泣かない」・小松左京「ヴォミーサ」。こんなんおもしろいに決まっているので、なにもいうことはありません。この「SFショートストーリー傑作セレクション」や「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション」、90年代の奇怪児童文学『ジグソーステーション』の復刊と、このごろの汐文社は子どもを悪い沼にはめる悪い出版社ぶりをいかんなく発揮してますね。もっとやれ。

『あらしの白ばと 地獄神の巻 パリ冒険の巻』(西條八十)


ご好評にこたえて、「あらしの白ばと」が、ここにふたたび登場!! 怪しい黒ふく面の男たちとの間に手に汗にぎる戦いが早くも始まる!!

http://d.hatena.ne.jp/seirindou_syobou/20181209/1544328886
西條八十の伝説的怪作少女小説の「あらしの白ばと」復刊事業第4弾は、第4部「地獄神の巻」第5部「パリ冒険の巻」の豪華二本立て。

地獄神の巻

第4部で白ばとグループは、外国の地獄神の印が押された札が大量に出回るという怪事件に巻き込まれます。奇怪な札を手にした者が次々と黒覆面の男に殺されるという事件の不気味さが魅力的です。白ばとグループの一番の豪傑吉田武子さんは柔道の武者修行のために不在のなかで、物語が始まってすぐ辻晴子さんは銃弾に倒れ日高ゆかりさんはさらわれてしまい、いきなり大ピンチ。展開がスピーディーで、腕力よりも知略で戦う場面が目立つので、シリーズの他の作品と比べてかなり引き締まった感じがします。

パリ冒険の巻

第5部は単身パリ旅行に赴いた武子さんが、怪事件に巻き込まれます、こちらも導入部で提示される謎が期待感を煽ってくれます。奇妙な老婆に導かれるように洋館に入った武子さんは、まるで大地震が起こったかのように荒らされた部屋でむごたらしくつぶされた男の死骸を発見します。遠い国でも武子さんは薄幸の美少女を守って大暴れ。表紙イラストにも出ていますが、西條作品ではおなじみのあれも出ます。最近我々は少女小説にあれが出てきて少女に倒されるのが当たり前のように感じていますが、おそらく感覚が麻痺してしまったでしょう。
それはそうと、第4部でも第5部でも武子さんが新たな美少女といい感じになるのはちょっと引っかかります。まさかとは思いますが西條先生、武子さんは妻帯者だということを忘れてしまったということはないですよね。
ともあれ、2015年12月から始まった「あらしの白ばと」復刊事情もめでたく終了しました。例年年末年始に刊行されていたので、2015年から2018年は、この物語の荒波に乗せられて気持ちよく年忘れをすることができました。編者の芦辺拓先生をはじめ、復刊に関わった方々に心より感謝します。