2018年の児童文学界最大の話題は、複数の映画賞を受賞し高い評価を受けた劇場アニメ『
若おかみは小学生!』の大ヒットでした。そのノベライズ版を原作者の
令丈ヒロ子自身が書いたというのも、興味深い実験でした。アニメーションに翻訳された小説がさらに小説に再翻訳されたことで、21世紀の
青い鳥文庫を代表するこの偉大なシリーズの持っていた可能性がさらに掘り下げられることになりました。
アニメは視覚を主体としたメディアですが、紙の本も視覚メディアとしての側面を持っています。特に、本文と挿絵の融合を得意とする児童文学は、物語を「見せる」ことにかけては、決してアニメに引けをとっていません。そのひとつの成果として、生え抜き作家がシリーズを全14巻できれいに完結させ
角川つばさ文庫史に記念碑を打ち立てた人気シリーズ『五年霊組こわいもの係』最終巻の208・209ページおよび234ページ・235ページの見開きを確認してください。読者の視線を巧みに誘導しスピーディーに物語を「見せる」ダイナミックな画面の構成は、それだけでひとつの芸術作品となっています。
『ルソンバンの大奇術』も視覚効果が計算し尽くされた作品でした。カバーイラストに幕を掛けることをはじめとした本を劇場化する仕掛けにより、落ちぶれた奇術師が再起を目指す物語のペーソスが極限まで高められています。
本における絵は、挿絵のみではありません。文字もまた、視覚を刺激する絵なのです。異常なまでの文学趣味で固定ファンを得ているにかいどう青は、
古今東西の実験小説の成果を知り尽くしているはずです。それらを踏まえたうえで、視覚によって恐怖を煽るホラーを成功させています。文字の暴走によって、作中人物の狂気が目に見えるかたちで提示されています。
文学はテキストのみによって成り立つものなのでしょうか。読者は文字情報だけでなく、挿絵・装丁・本の重量なども楽しみ、あらゆる感覚を動員して読書を体験しています。挿絵の役割の大きな児童文学なら、なおさらでしょう。2018年は「見せる」ということに工夫を凝らした作品が目立ったので、そんなことを考えさせられたのでした。
新人の作品でもっとも印象に残ったのは、これでした。
小林一茶の「ハンノキのそれでも花のつもりかな」という句をモチーフとし、家庭でも学校でも人間として尊重されることなく育った主人公の内面を、荒く尖った文体で描ききりました。
ベテランの安定した力をみせつけたのは、
村中李衣。小学校の教室で小学生たちがマネキンを飼育するという不気味な設定が読者の興味を引きます。クラスで虐げられている子どもがマネキンをダンスをする幻想的な光景がみどころです。
90歳を超えるウルトラベテラン作家による力作も誕生しました。昭和十年の日本の少年少女が、南米ペルーまで幻の古生物ドエディクルスを探す旅に出る物語です。著者の専門知識が生かされた動物ものの冒険小説として一級品です。終盤に語られる終末神話めいた凄惨な動物黙示録には圧倒されます。
『ヤイレスーホ』は、
アイヌ神話を元にしたファンタ
ジー『チポロ』の続編です。オーソドックスな英雄譚だった『チポロ』に対し、『ヤイレスーホ』は英雄にはなれない者たちの感情にスポットライトが当てられています。魔物の呪いを恩寵と感じる少女の感情や自分が監禁していた少女に魔物が抱いた複雑な感情など、いびつな感情に美しい救済が与えられます。
児童向けエンタメの新たな可能性をみせてくれたのは、この作品。ストーリー自体は、貧乏な少年が音楽で成り上がって家族の再生を果たすというありふれたものです。ただし、ドタドタとダンスをする関西弁のウシやバズーカをぶっ放すお嬢様といったわけのわからないなキャ
ラクターを暴れ回らせ、ハイセンスなギャグを連発することで、意味不明なまでの突破力を獲得しています。その突破力によって、ありふれた物語を普遍性と斬新さを兼ね備えた強度のある物語に変貌させています。
『風がはこんだ物語』は、物語ることをめぐる物語です。難民を乗せた粗末なボートという過酷な環境のなかで響き合う物語、ここに文学の持つ原初的な力が現れていきます。