『白狐魔記 天保の虹』(斉藤洋)

天保の虹

天保の虹

人間の業を見つけ続ける不老長寿の狐白狐魔丸の物語の第7弾。
今回狐が出会う人物は、鼠小僧次郎吉大塩平八郎です。狐は鼠小僧次郎吉に同情的で、偽の鼠小僧や大塩平八郎には批判的。「どうしてもなにかになりたいが、なれず、なれたら死んでもいいと思うばか」を痛烈に批判します。
白狐魔丸の役割はあくまで観察者なので、人間の世界の出来事には一定の距離をおいています。それに対し、人間に重い感情を抱きさまざまな行動をするという意味では、雅姫様の方が主役にふさわしいという見方もできます。生まれ変わりを繰り返す思い人の幻影を追い、最終的にそれを看取らなければならない雅姫様の運命は、非常に悲劇性が高いです。この展開が何度も続いているので、雅姫様はループものの主人公のようになり、背負うものがどんどん重くなっていきます。今回は、後ろ姿を描いた高畠純のイラストも相まって、雅姫様の激情が特に強く迫ってきました。
一方で、虹というモチーフを効果的に使い、さわやかでありながら悲哀のあるよい空気感を出しているところも印象に残ります。
源平の合戦から始まったこの長いシリーズも、これで江戸時代の後期まで進みました。もうすぐ武士の時代が終わり、近現代に突入することになるはずです。新時代の人間の姿を、白狐魔丸や雅姫様はどのように論評するのか、楽しみなような怖いような……。

『その声は、長い旅をした』(中澤晶子)

その声は、長い旅をした

その声は、長い旅をした

およそ、この世の中に、変声期直前の少年の声ほどうつくしいものはありません。
ほら、きこえるでしょう、あの波間から、声が、天から舞い降りた、あの声が。

思春期の身体の変化で人は象徴的な死を迎えるわけですが、ボーイソプラノの歌い手は通常よりも強烈なかたちでその死を意識することになるでしょう。強烈な死の体験は、生の裏返しでもあります。
この作品の主人公の藤枝開は、全国レベルの合唱団に所属する中学1年生で、やはり自分の終わりを意識していました。そんななか、合唱団に船原翔平という新メンバーが現れ、開は翔平に強い敵対心を抱きます。行き詰まった開は、かつて長崎のキリシタンが処刑されたと伝えられている「形場の森」の「礼拝堂」で練習しようと思い立ちます。ところが、そこには翔平がいて歌っていました。不思議なことに、翔平ひとりのはずなのにもうひとつの声が翔平の声に重なっているように聞こえました。
物語の主題は、まさに「声」です。本文は主に三つの部分が折り重なって構成されています。開が視点人物となる部分、翔平の日記、そして、天正時代にローマへと旅立つことになる美声の少年コタロウの物語が語られる部分です。この切り替えにより、読者は「声」を意識させられることになります。また、作中には会話文の「」が外されている部分が目立ちます。それは視点人物の内言なのか他者の「声」なのか、それとも超自然的ななにかの「声」なのか。そういった疑問を抱かせ読者を立ち止まらせるのも、読者に「声」を意識させる仕掛けになっています。
「声」は生身の身体から発せられるものであり、非常に生々しいものです。一方、宗教的な文脈で考えれば、「声」は神の顕現でもあります。そんな「声」が時代の壁も越え人をつなぐさまが美しいです。

『クレンショーがあらわれて』(キャサリン・アップルゲイト)

「ネコがいちばん 犬はるすばん」

ジャクソンはプールでサーフィンをしているネコを見ます。それは、しばらく姿を現していなかった想像上の友だちのクレンショーでした。以前よりも大きくなっているクレンショーは、ジャクソンにとって不吉な存在に思えました。なぜなら、クレンショーが初めて出現した3年前は一家が貧困のどん底に陥って住居を失いミニバンで生活してたときだったからです。ジャクソンは再びあの生活がもどってくるのではないかとおびえます。
父親は難病で母親は非正規雇用労働を掛け持ちしています。両親はさまざまな手を打とうと努力するものの貧困から抜け出すことはできません。「パパとママは、どうしてほかの子の親みたいになれないの?」と子どもから問われるという地獄を経験します。大人目線で読むと、親の方に感情移入してしまって本当にキツいです。
貧困の描写にリアリティがあります。ミニバン生活でつらいことはみんなの足の臭さだというのは、綿密に取材しなければ出てこない発想でしょう。
主人公の造形も興味深いです。ジャクソンは、着ぐるみに中の人がいることや手品にタネがあることを暴いたりしてしまうタイプの理系少年でした。ジャクソン自身も、自分は空想上の友だちを持つような人間ではないと思っています。そんな現実的な彼が主人公だからこそ、クレンショーという〈魔法〉の存在がかけがえのない意味を持ってきます。

『一富士茄子牛焦げルギー』(たなかしん)

一富士茄子牛焦げルギー

一富士茄子牛焦げルギー

意味がわからないけどなんとなくおめでたそうなことだけはわかる、このタイトルの吸引力が尋常ではありません。
牛のような巨大な茄子につれられて富士山に行き、富士山に餅が焦げないようにしてほしいと願い事をした、願い事はもうひとつ残っている。正月の朝におとんが「ぼく」に意味不明な夢の話をしてきました。ところが実際、餅は焦げなくなっていました。しかも、twitterで検索したところ同じ現象が至るところで起こっている模様。富士山の願い事が現実だと知ったふたりは、残された願い事の活用法を考えます。
冒頭のおとんと「ぼく」のかけあいの軽妙さがすばらしいです。しかしはじめの明るさから一転、物語は暗い方向に進んでいきます。
我々欲深い人類は、超自然的な存在が願い事を叶えてくれる事態を想定して、さまざまな対処法を研究してきました。その研究成果(特に「猿の手」という論文)から学べばわかることですが、ふたりの頭によぎった願い事は残りの願いがひとつしかない場合は絶対にしてはならないやつです。
あとがきで述べられているように、この作品は作家の私怨で成り立っています。そのため、熱量が常軌を逸した高さになっていて、異様な迫力が出ています。

『歴史探偵アン&リック 鹿鳴館の恋文』(小森香折)

鹿鳴館の恋文 (歴史探偵アン&リック)

鹿鳴館の恋文 (歴史探偵アン&リック)

  • 作者:小森 香折
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2019/10/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「明治って、かわいくない?」
「なんで?」
「ハイジに似てる。」

ファッションオタク少女杏珠と歴史オタク少女の陸のバディ探偵小説「歴史探偵アン&リック」の第4弾。今度はイギリスからの留学生ボビーが謎を持ち込んできます。ボビーはひいひいおじいさんの古い手帳に書かれた謎の文言とスズコという日本人女性の写真を発見し、その秘密を探っていました。杏珠と陸は、鹿鳴館時代のイギリス人と日本人の恋愛事件(?)の謎に挑むことになります。
いつもながら、ふたりのしっかりした分業体制が物語をスムーズに進行させていきます。ロマンチック方面は杏珠担当、政治やら外交やらは陸担当。陸の方は、学校の先生から外遊びのグループ活動を弾圧されるという問題も抱えていましたが、これが歴史事件とうまく噛み合って解決する流れも爽快です。
このシリーズの美点は、ジャンルの異なるオタク同士の友愛です。アクセサリーを愛する杏珠も古文書や武器を愛する陸もお互いの趣味を尊重しています。文化そのものの魅力、文化を仲立ちにして人は繋がれるのだということ。文化を通して世界の美しさを伝えることに成功しています。特に今回は、ふたりが小学校卒業を控えていることもあってペーソス成分も強くなっていて、ラストのふたり語り合う場面がしみじみとよかったです。
あとがきの書きぶりだとこれで最終回とも受け取れそうですが、別に中学生編を続けてもいいんですよ。いや、続けてください。

『しぶがき ほしがき あまいかき』(石川えりこ)

しぶがき ほしがき あまいかき (福音館創作童話シリーズ)

しぶがき ほしがき あまいかき (福音館創作童話シリーズ)

ほしがきをつくる話、と紹介してしまうとあまりにあっさりしすぎですが、その過程が魅力的に描かれていて読ませます。
竹をちょっと加工して柿をとる竿をつくったりとか、柿に紐を通す様子とか、なんでもないようなことが文章のリズムとイラストの魅力で楽しげに輝いてきます。また、柿泥棒を警戒する終盤の展開は一転して闇が効果的に使われる世界に変容し、こちらの緊迫感と弛緩も印象に残ります。
この本は横書きになっています。イラストでは木の枝や物干し竿や柿を吊しているハンガーなど横方向に伸びるものが印象的に配置されています。横方向の視線誘導はほしがきができるまでの時間の進行を感じさせる仕掛けにもなっています。

『1945,鉄原』(イ ヒョン)

1945,鉄原(チョロン) (YA! STAND UP)

1945,鉄原(チョロン) (YA! STAND UP)

  • 作者:イ ヒョン
  • 出版社/メーカー: 影書房
  • 発売日: 2018/03/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
朝鮮半島のほぼ中央に位置する鉄原の1945年の物語。侵略者から解放されたとしても、すぐに平和が訪れるわけではありません。内部にも腐敗した権力者がうようよいます。でも、悪い地主から土地を取り上げて農民に配ってもみんなが幸せにはなれなかったというのは、歴史が証明しているとおりです。
というしんどい歴史物語としての側面をこの作品は当然持っていますが、娯楽読み物としての側面にも注目すべきです。日本の読者に向けられたあとがきでは、著者が日本の少女まんがのファンであることを明かし、『ベルサイユのばら』『キャンディ・キャンディ』『ぼくの地球を守って』といった作品を愛読していると述べています。つまりこれは、日本の読者にはそういう作品として読んでもらいたいという目配せになっているわけです。
解放運動の中心人物が殺される事件が起こり、ミステリ要素が物語を牽引する重要な鍵になります。また、それぞれの立場からの人間ドラマも読ませます。有力者の子どもでありながら理想に燃える若者もいますし、既得利権に恋々として南に逃れようとあがく若者もいます。上流階級のお嬢様と下層の女子がまるで対等な関係であるかのように同じ書店で働くという夢のような空間が一時だけ実現しますが、これもはかない幻でした。
題材の重さから敬遠されがちかもしれませんが、広く読まれもらいたい作品です。