『落語少年サダキチ(さん)』(田中啓文)

落語少年サダキチ(さん) (福音館創作童話シリーズ)

落語少年サダキチ(さん) (福音館創作童話シリーズ)

絶好調の「落語少年サダキチ」シリーズ第3巻。なぜだか老人会のイベントで落語を披露させられることになったサダキチ。同じイベントに小学生漫才コンビカピバラ兄弟」も出演するので、異種芸能バトルとなり、負けたら尻文字という屈辱的な罰ゲームも科されてしまいます。負けるわけにはいかないサダキチは、またも難しい演目「住吉駕籠」に挑戦しようとし、迷走します。
落語と漫才の勝負の行方は作品を読んでのお楽しみですが、桂九雀の解説でもこのテーマに触れられています。おもしろさでは漫才にかなわず、演技では演劇にかなわず、ストーリーでは小説にかなわないと、自虐をからめながらも落語のよさを伝えていく手つきが巧妙です。
物語の方は、もうおもしろいに決まっています。小学生同士の確執に老人会の闇・家庭の悶着といった多くの要素を、江戸時代に逃亡するといういつものお約束でまとめあげ、終始笑って読める作品に仕上げています。
田中啓文は多彩なジャンルで活躍している作家ですが、家庭問題のパートではSF作家としての側面を強くみせています。お約束のタイムスリップをお約束の展開に絡め、しっとりとしながらも笑える独自の世界に仕立てています。また、こっそりクトゥルー作家としても面もみせています。わざとでなければ「なんとかダゴン」なんて言い間違いはしないでしょう。
ブックデザインもこのシリーズの見どころのひとつです。2巻までのデザインのクレジットは「祖父江慎+鯉沼恵一(コズフィッシュ)」となっていましたが、今回は「鯉沼恵一(ピュープ)」となっていました。でも、毎回工夫が凝らされているタイムスリップの場面は今回がもっとも秀逸だったのではないでしょうか。「ふっ」と消えるさまを薄い文字で表現し、背面のイラストが薄く見えるとことを利用してふたつのページを融合させ、そこに小さな猫のイラストを配置するセンスのよさ。このページは見入ってしまいました。

『あの子の秘密』(村上雅郁)

あの子の秘密 (フレーベル館 文学の森)

あの子の秘密 (フレーベル館 文学の森)

  • 作者:村上雅郁
  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: 単行本
第2回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作。小学6年生の小夜子は人間嫌いですべての他人を遠ざけており、見えないお友だちの黒猫だけを心の支えにして生きてきました。しかし、編みこみビーズのやたらうるさい転校生明來がからんでくるようになります。明來は異様に洞察力が高く、複雑なクラス内の力関係をすぐに把握して自分の地位を確立、クラス内の空気をよい方向に導いていきます。皮肉屋の黒猫は明來がまったく自分の本心を話していないということを見抜き、あれは妖怪の一種だと評します。ところが、黒猫は「明來と友だちになれ」と言い残して小夜子の前から姿を消しました。小夜子は嫌っていたはずの明來に黒猫の捜索を手伝ってほしいと懇願します。
小夜子が語り手になるパートと明來が語り手になるパートが交互に繰り返される構成になっています。ふたりの語りのテンションの違いがおもしろいです。小夜子は徹底してダウナー系で、黒猫とのしりとり(実質的なひとりしりとり)で「リハビリ」「リカバリ」「臨床心理」「量子物理」とか言っているところに闇とお茶目さが表れています。「ぷー」などという意味不明語を発する明來の語りはひたすら軽く、その軽さのなかに闇が垣間見えます。
この書き分けのうまさは新人離れしています。この語りは、キャラ性を明確にし、読みやすさ親しみやすさを高める効果を上げています。同時に、人間の個体間の異質さを切りわけ、その異質なものが融けあう奇跡の美しさを際立たせる演出にもなっています。
人が成長するためには犠牲が必要だと、我々は思いこまされています。イマジナリーフレンドとは別れ、ライナスの毛布は捨てる、いらないものは階段島にポイ、そうしなければきちんとした大人にはなれないと。そんな常識には抗う、これが児童文学として正しい姿勢です。
クライマックスの、カバーイラストに描かれた不思議な世界で大切な人の大切なものを守るために奮闘するシーンの美しさには、圧倒されるしかありません。
ということで、新人のデビュー作としては100点満点中200点の傑作だといえます。クライマックスまでは。すべての事件が完了してあとはエピローグだけにみえた残り20ページほどで物語の様相は一変し、最終的にこの作品の得点は1京200点となります。以下、作品の核心部分に触れます。未読の方はこんなくだらないブログを読んでる場合ではないので、いますぐこの本を入手して読んでください。










最終章、明來が協力者の子に呼び出される場面、その子は反対に明來のおかげで兄と話せるようになったのだと感謝し、兄に「ずっとかくしてて、いけないと思っていたこと。それでも、どうしようもなかったこと」を打ち明けたのだと告白します。この時点では、読者にその内容を推し量ることは困難です。その後、その子は明來に小夜子のことを聞き、「私さ、負けないからね」と言います。意味を理解しかねた明來が「負けないって、なにが?」と聞き返すと、「秘密」と返答します。
ここはまるでその子が小夜子のことが好きで、明來に恋のライバル宣言をしてるかのようにみえます。でもそれは考えすぎだろうと思って読み進めていくと、直後の小夜子パートでいつも女王様然とした態度のその子が余裕のない表情で緊張して小夜子に話しかけているではありませんか。で、小夜子の好きな本の話題をおずおずと提供し、小夜子が芳しい反応をみせてくれると跳ねるような足取りで去っていきました。ここで読者の疑いは確信に変わります。そういえばこの子は、人知れずいつも小夜子のサポートをしていて、小夜子に対する好意は明來にはっきり表明していました。ここでこの作品は、「いけないこと(まったくいけなくないのだが)」だと思いこんでいてずっと好きだった同性にアプローチできなかった子が、勇気を出して一歩踏み出した物語であったのだという側面を浮上させます。つまり、タイトルの「あの子の秘密」とは、この子の恋心のことだったのです。しかし、この時点で小夜子と明來のあいだには余人の立ち入ることのできない絆が生まれてしまっています。この子はすでに恋の敗北者になっているのです。
さて、この作品は登場人物によって他人の呼称が異なるという特徴を持っています。明來パートでは下の名前にちゃん付け、小夜子パートは苗字呼び捨てになっています。これが非常に残酷な仕掛けとなっているのです。最終章のあの子が小夜子に話しかける場面、小夜子はその子を苗字で認識しますが、よほど記憶力と注意力に優れた読者でなければその苗字をみただけではその子をその子と認識できず、いつもは取りまきを連れているという情報からその子であることを推測するはずです。なぜならこの苗字は小夜子パートで1回、明來パートで1回しか出ていないからです。明來パートでは重要な活躍をみせるので、その子の下の名前が・・ちゃんであることは読者は認識しています。このことは、ずっと同じ学校にいるのに小夜子の眼中にその子の姿はほとんどなく、転校生の明來の方がその子の存在を大きく感じていたのだという、あまりにもその子にとって不憫な事実をあらわすのです。
いや、こんな残酷な話があっていいのでしょうか。あの子は世間の評価に左右されず自分の好きなものを守ることのできる勇気を持ち、本人から知られず感謝もされないのにずっと手助けをしてきた、無茶苦茶いい子なのです。そんな子の思いが報われないなんて、そんな不人情が許されていいわけがありません。
この作品のエピローグは、あの子の恋の物語のプロローグでしかないのです。きっとあの子の思いは報われるはず、そう信じたいです。

『白狐魔記 天保の虹』(斉藤洋)

天保の虹

天保の虹

人間の業を見つけ続ける不老長寿の狐白狐魔丸の物語の第7弾。
今回狐が出会う人物は、鼠小僧次郎吉大塩平八郎です。狐は鼠小僧次郎吉に同情的で、偽の鼠小僧や大塩平八郎には批判的。「どうしてもなにかになりたいが、なれず、なれたら死んでもいいと思うばか」を痛烈に批判します。
白狐魔丸の役割はあくまで観察者なので、人間の世界の出来事には一定の距離をおいています。それに対し、人間に重い感情を抱きさまざまな行動をするという意味では、雅姫様の方が主役にふさわしいという見方もできます。生まれ変わりを繰り返す思い人の幻影を追い、最終的にそれを看取らなければならない雅姫様の運命は、非常に悲劇性が高いです。この展開が何度も続いているので、雅姫様はループものの主人公のようになり、背負うものがどんどん重くなっていきます。今回は、後ろ姿を描いた高畠純のイラストも相まって、雅姫様の激情が特に強く迫ってきました。
一方で、虹というモチーフを効果的に使い、さわやかでありながら悲哀のあるよい空気感を出しているところも印象に残ります。
源平の合戦から始まったこの長いシリーズも、これで江戸時代の後期まで進みました。もうすぐ武士の時代が終わり、近現代に突入することになるはずです。新時代の人間の姿を、白狐魔丸や雅姫様はどのように論評するのか、楽しみなような怖いような……。

『その声は、長い旅をした』(中澤晶子)

その声は、長い旅をした

その声は、長い旅をした

およそ、この世の中に、変声期直前の少年の声ほどうつくしいものはありません。
ほら、きこえるでしょう、あの波間から、声が、天から舞い降りた、あの声が。

思春期の身体の変化で人は象徴的な死を迎えるわけですが、ボーイソプラノの歌い手は通常よりも強烈なかたちでその死を意識することになるでしょう。強烈な死の体験は、生の裏返しでもあります。
この作品の主人公の藤枝開は、全国レベルの合唱団に所属する中学1年生で、やはり自分の終わりを意識していました。そんななか、合唱団に船原翔平という新メンバーが現れ、開は翔平に強い敵対心を抱きます。行き詰まった開は、かつて長崎のキリシタンが処刑されたと伝えられている「形場の森」の「礼拝堂」で練習しようと思い立ちます。ところが、そこには翔平がいて歌っていました。不思議なことに、翔平ひとりのはずなのにもうひとつの声が翔平の声に重なっているように聞こえました。
物語の主題は、まさに「声」です。本文は主に三つの部分が折り重なって構成されています。開が視点人物となる部分、翔平の日記、そして、天正時代にローマへと旅立つことになる美声の少年コタロウの物語が語られる部分です。この切り替えにより、読者は「声」を意識させられることになります。また、作中には会話文の「」が外されている部分が目立ちます。それは視点人物の内言なのか他者の「声」なのか、それとも超自然的ななにかの「声」なのか。そういった疑問を抱かせ読者を立ち止まらせるのも、読者に「声」を意識させる仕掛けになっています。
「声」は生身の身体から発せられるものであり、非常に生々しいものです。一方、宗教的な文脈で考えれば、「声」は神の顕現でもあります。そんな「声」が時代の壁も越え人をつなぐさまが美しいです。

『クレンショーがあらわれて』(キャサリン・アップルゲイト)

「ネコがいちばん 犬はるすばん」

ジャクソンはプールでサーフィンをしているネコを見ます。それは、しばらく姿を現していなかった想像上の友だちのクレンショーでした。以前よりも大きくなっているクレンショーは、ジャクソンにとって不吉な存在に思えました。なぜなら、クレンショーが初めて出現した3年前は一家が貧困のどん底に陥って住居を失いミニバンで生活してたときだったからです。ジャクソンは再びあの生活がもどってくるのではないかとおびえます。
父親は難病で母親は非正規雇用労働を掛け持ちしています。両親はさまざまな手を打とうと努力するものの貧困から抜け出すことはできません。「パパとママは、どうしてほかの子の親みたいになれないの?」と子どもから問われるという地獄を経験します。大人目線で読むと、親の方に感情移入してしまって本当にキツいです。
貧困の描写にリアリティがあります。ミニバン生活でつらいことはみんなの足の臭さだというのは、綿密に取材しなければ出てこない発想でしょう。
主人公の造形も興味深いです。ジャクソンは、着ぐるみに中の人がいることや手品にタネがあることを暴いたりしてしまうタイプの理系少年でした。ジャクソン自身も、自分は空想上の友だちを持つような人間ではないと思っています。そんな現実的な彼が主人公だからこそ、クレンショーという〈魔法〉の存在がかけがえのない意味を持ってきます。

『一富士茄子牛焦げルギー』(たなかしん)

一富士茄子牛焦げルギー

一富士茄子牛焦げルギー

意味がわからないけどなんとなくおめでたそうなことだけはわかる、このタイトルの吸引力が尋常ではありません。
牛のような巨大な茄子につれられて富士山に行き、富士山に餅が焦げないようにしてほしいと願い事をした、願い事はもうひとつ残っている。正月の朝におとんが「ぼく」に意味不明な夢の話をしてきました。ところが実際、餅は焦げなくなっていました。しかも、twitterで検索したところ同じ現象が至るところで起こっている模様。富士山の願い事が現実だと知ったふたりは、残された願い事の活用法を考えます。
冒頭のおとんと「ぼく」のかけあいの軽妙さがすばらしいです。しかしはじめの明るさから一転、物語は暗い方向に進んでいきます。
我々欲深い人類は、超自然的な存在が願い事を叶えてくれる事態を想定して、さまざまな対処法を研究してきました。その研究成果(特に「猿の手」という論文)から学べばわかることですが、ふたりの頭によぎった願い事は残りの願いがひとつしかない場合は絶対にしてはならないやつです。
あとがきで述べられているように、この作品は作家の私怨で成り立っています。そのため、熱量が常軌を逸した高さになっていて、異様な迫力が出ています。

『歴史探偵アン&リック 鹿鳴館の恋文』(小森香折)

鹿鳴館の恋文 (歴史探偵アン&リック)

鹿鳴館の恋文 (歴史探偵アン&リック)

  • 作者:小森 香折
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2019/10/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「明治って、かわいくない?」
「なんで?」
「ハイジに似てる。」

ファッションオタク少女杏珠と歴史オタク少女の陸のバディ探偵小説「歴史探偵アン&リック」の第4弾。今度はイギリスからの留学生ボビーが謎を持ち込んできます。ボビーはひいひいおじいさんの古い手帳に書かれた謎の文言とスズコという日本人女性の写真を発見し、その秘密を探っていました。杏珠と陸は、鹿鳴館時代のイギリス人と日本人の恋愛事件(?)の謎に挑むことになります。
いつもながら、ふたりのしっかりした分業体制が物語をスムーズに進行させていきます。ロマンチック方面は杏珠担当、政治やら外交やらは陸担当。陸の方は、学校の先生から外遊びのグループ活動を弾圧されるという問題も抱えていましたが、これが歴史事件とうまく噛み合って解決する流れも爽快です。
このシリーズの美点は、ジャンルの異なるオタク同士の友愛です。アクセサリーを愛する杏珠も古文書や武器を愛する陸もお互いの趣味を尊重しています。文化そのものの魅力、文化を仲立ちにして人は繋がれるのだということ。文化を通して世界の美しさを伝えることに成功しています。特に今回は、ふたりが小学校卒業を控えていることもあってペーソス成分も強くなっていて、ラストのふたり語り合う場面がしみじみとよかったです。
あとがきの書きぶりだとこれで最終回とも受け取れそうですが、別に中学生編を続けてもいいんですよ。いや、続けてください。