『その一言から生まれる物語 ああ、もうダメだ!』(日本児童文学者協会/編)

「もうだめだ」という一言からは、どうしてもしまっちゃうおじさんのことを思いだしてしまいますよね。本の扉のイラストでもorzしていますし。この巻は、タムラフキコのイラストの迫力も印象に残ります。特におもしろかった作品をいくつか紹介します。

東野司「ゆうちゅうばあになるためのたったひとつの確かなやりかた」

「ゆうちゅうばあ」を目指す子どもの物語ですが、あえて「ゆうちゅうぶ」や「あいふぉん」をひらがなで表記して幼さを演出しているところにたくらみがあります。親は選べないという残酷な現実を見据えながら、「伝えたい」という願いに真摯に向きあっているところに好感が持てます。

古内一絵「北見くんはダメジョウブ」

主人公の母親は漫画家で、北見くんという青年を住み込みのアシスタントとして雇っています。親戚でもない若い男を家に入れていることを同級生の母親が問題視して、あろうことか衆人環視のなかで子どもを捕まえて問い詰める場面がホラーです。北見くんは世間的には「ダメ」側とされる人間ですが、自分のことを「ダイジョウブ」としています。「ダメで大丈夫な日々」の強度に救われます。

『その一言から生まれる物語 えっ、ウソみたい?』(日本児童文学者協会/編)

「ウソみたい」なことがテーマのアンソロジー。そのなかから特におもしろかった作品をいくつか紹介します。

村上しいこ「人間やめますか」

子どもが突然ワニに変身してしまうという導入はカフカ。しかし、簡単に人を食い殺せる力を持ち、月に人間らしい心を見出すワニは、どちらかというと『山月記』の虎を思い起こさせます。人を食べれば人間になれることを知りながらそれをためらう主人公は、エゴイズムを超克しているわけではありません。ここにあるのは、根深い絶望とニヒリズムです。

森川成美「男子VS女子」

学年一のイケメンが男子集団と組んで女子にウソを告白をしてからかう遊びをしていたことが明るみに出て、女子たちから集団リンチめいた糾弾を受けるという話。個と個、群れと群れの権力闘争がスリリングに描かれています。そしてなにより怖いのは、その権力闘争がもっとも残酷なかたちであらわれるのが恋愛というフィールドであるということを暴き立てているところです。

最上一平「魔の六月二十二日」

ダーク系統の話が多かったこの作品集のなかで、ユーモアで魅せてくれたのがこの作品。親が結婚記念日で酒を飲んで酔っぱらっているなかで、子どもがビンに指を突っこんで抜けなくなったという小事件が語られます。酒で浮かれた空気のなかで小ピンチは笑い飛ばされますが、なかなか抜けずレスキュー隊を要請する事態に発展します。レスキュー隊の作業のディテールが描かれる箇所などが妙に笑えて、不可思議な空気感を持つ作品になっていました。

『その一言から生まれる物語 もうサイアクだ!』(日本児童文学者協会/編)

「サイアク」という一言がテーマのアンソロジー。そのなかから特におもしろかった作品をいくつか紹介します。

令丈ヒロ子「小さな呪いなら」

呪いのアプリをめぐるホラー。アプリの性質を理詰めに検証し、その結果策士策に溺れるという展開が皮肉。令丈ヒロ子らしいロジカルさを出しつつ闇路線に振り切った良作です。

有沢佳映「二十五分間のセンター」

しかしなんといってもこのアンソロジーで特筆しなければならいのは、有沢佳映の新作が拝めるということでしょう。2010年デビューなのに現時点でまだ長編3作と短編2作(本作含む)しか発表しておらず、常に読者を飢えさせている罪深い作家の新作が。
修学旅行居残り組や小学校の登校班など、シチュエーション設定のうまさが有沢佳映の天才性のひとつですが、この作品ではまさに「サイアク」の状況が設定されています。語り手の「ぼく」は、学校では気配を消しているタイプの小学生。そんな「ぼく」は、社会科見学に向かうバスの担任が勝手に出席番号順に決めた座席で、仲のいい女子ふたりにはさまれて最後尾の3人席に座らされるという拷問を経験します。この状況はただでさえ地獄なのに、ふたりは痴話ゲンカを始めてしまい、さらに地獄感が増します。一体どうやったらこんな鬼畜な状況を考えつくのでしょうか。
物語は、ふたりのケンカと「ぼく」の内心ツッコミで進行します。『かさねちゃんにきいてみな』や『お庭番デイズ』で証明されている有沢佳映のギャグセンスでこの状況が料理されているのですから、笑えないはずがありません。まぎれもなく傑作です。
しかし、傑作をお出しされると読者の飢えはさらに増幅されてしまうので、なんとか刊行ペースを上げてもらえないものか……。

『レッツもよみます』(ひこ・田中)

ひこ・田中ヨシタケシンスケによるレッツ・シリーズの第5弾。今回のテーマは「よむ」ことです。
5歳のレッツは、とうさんが絵本を読むのを「うるさく」思うようになりました。さらに母さんの読む声も自分の声すらもうるさく感じます。
つまり今回は、音読から黙読へという発達の過程がテーマになっているのです。音読と黙読の違いを区別する、46,47ページのデザイン上の演出がおもしろいです。
レッツは落ち着いて本に読める場所も吟味するようになります。それ以前にとうさんから、考えごとをするにはトイレがいいということも教わっていました。音読から黙読へという発達は、孤独を志向することも意味します。
ということで、親側からすればつらい面もある話であるといえます。それでいて、親にも救いを与えてくれるところが泣かせます。

『SNS100物語 黒い約束』(にかいどう青)

闇と百合とミステリのマエストロにかいどう青の青い鳥文庫での新作は、SNSのグループで百物語をする子どもたちの物語。語り手の中学2年生エルモがその美貌を崇拝している女子リコの発案で、仲のよい5人組が百物語をします。その目的は、メンバーのひとりネネネの亡くなった愛犬を復活させることでした。
5人の語る怪談と、SNS上での会話、そして現実での出来事と、物語には七つものラインが流れているので、一見複雑なようにみえます。しかし、各メンバーの怪談にそれぞれシリーズものを配置したり、七つのラインを終盤まで錯綜させないよう*1に工夫したりしているので、読者は混乱せずサクサクと読み進めていくことができます。
そして読み進めていくうちに、読者はある恐れを抱くようになります。この作品、一体いくつの時限爆弾が仕込まれているのかと。もっともわかりやすい時限爆弾は、ネネネの家の前の道路に「正」の字の落書きが書かれていて、まるでなにかをカウントダウンしているかのようにその画数が減っていくという現象です。
また、エルモがリコに抱いている重い感情も、にかいどう青の作風を知っている読者には時限爆弾に思えることでしょう。そもそもエルモは犬の復活など全く信じておらず、自分の語る怪談が他の子に比べてつまらないのではないかと思って*2、どうしたらリコを失望させないのかということばかりに悩んでいます。いや、そもそも百物語という形式自体が時限爆弾をはらんでいます。
にかいどう青はミステリ素養を持つ作家なので、作品世界はかっちり作りこまれています。百物語という形式にもSNSという形式にもすべて意味があります。その形式を利用して物語の速度調整をするテクニックがうまいです。作中人物の狂気と怪談を語るスピードが連動して加速していく展開の怖いこと怖いこと。最後まで一気読みさせられる極上のエンタメですが、一歩引いてみると構成力や技術力の高さにも戦慄させられてしまいます。
『続 恐怖のむかし遊び』所収の短編「あの子がほしい」と並んで、にかいどう百合ホラーの傑作として称えられる作品になりそうです。

*1:より正確にいうと、錯綜しているようにみせないように目くらましをするという、高度な技が仕込まれています。

*2:いや、エルモの語るKさん姉妹シリーズは実存の不安に踏みこんでいるものが多くて、かなり怖いんですけど。

『もう、子どもじゃない?  はじめてのなやみ、はじめての恋』(福田裕子/作  高橋幸子/監修)

小学5年生女子たちの初恋模様を描いた物語形式の性教育本。ダイエットや生理の悩みといった普遍的なことから、性交の同意についてといった踏みこんだ内容まで網羅されています。2022年の小学中~高学年向け性教育本としては適切な内容であると思われます。ぜひ、小学校の学校図書館には置いておいてもらいたいです。
この手の教育要素が先行した本は、物語の部分に魅力がなければ子どもからは見向きもされません。その点この作品は、恋愛小説としてベタ甘で読みやすいので、多くの子どもが手に取ってくれそうです。例として、大人びたクール女子津森千秋が主役を務める第四章の内容を紹介します。結末まで触れるので、未読の方は自己判断で読んでください。
千秋が気になっているのは、無口な芸術家肌の男子二ノ宮梨久。自分の世界を大事にしてる二ノ宮くんに対し、千秋はその領域を侵さないように節度を持ちつつ接近していきます。運動会の横断幕をふたりで作成したことが、千秋が二ノ宮くんに接近するきっかけになりました。そのときはふたりのあいだでほとんど言葉は交わされませんでしたが、千秋はふたりで過ごす時間を「その沈黙はちっとも息苦しくない。/二ノ宮くんの世界でひなたぼっこをしているような、/そんなふしぎな心地のよさを感じた。」と肯定的に捉えていました。その後、図工の時間でお互いの顔を描くという課題が出されたときにペアになり、どこかミステリアスな会話を二ノ宮くんと交わせるようになり、さらに距離が縮まります。そして千秋は、休日に美術館に行く誘いを受けます。千秋は美術館デートだと盛り上がり、実際それはロマンチックな雰囲気で進行します。ついに千秋は自分の思いを告白することを決意します。
わたしのようなうっかり者の読者は、これは完全にチェックメイトだと思ったことでしょう。そう、物語の美しさに夢中になって、この本の主眼は恋愛小説ではなく性教育であることを忘れていたうっかり者の読者は。



うん、わかるよ。いまの時代は、こういうことも想定しなければならないということは。それにしても千秋はいい子すぎませんか。繊細な子との距離の詰め方の誠実さ。そして、そのできごとの後も、一時はショックを受けて二ノ宮くんから離れてしまうものの、最終的には小学5年生としては満点の対応をします。どうにもならないことはどうにもならないということはもちろん理解できます。だからこそ、千秋の今後の人生によい報いがあることを願わずにはいられなくなります。

『火守』(劉慈欣)

世界的ベストセラーSF『三体』で知られる劉慈欣の、現時点で唯一の童話作品だそうです。
劉慈欣著・池澤春菜訳・西村ツチカ絵。思わず二度見三度見してしまうような豪華な布陣です。こんな強い布陣が許されるのか、なんらかの反則がなされているのではないかと一瞬疑いを持ってしまうくらいです。
孤島に住む火守には、空の上の星を癒やすことで人間の病気を治す力があると伝えられていました。恋するヒオリを病から救うため火守のもとを訪れたサシャは、年老いた火守からこの仕事を引き継げば協力すると取引を持ちかけられます。サシャはすぐに承諾しますが、火守はこの約束は守られたためしがないと笑います。それでも火守は重い腰を上げ、ふたりで星を直す作業が始められます。
この作品で主に描かれているのは、星を癒やすという魔術の工程です。そのディテールが非常に魅力的です。まずはロケットを打ち上げるための火薬づくりという地味な作業から始まりますが、木炭の代わりに浜辺に打ち上げられている鯨の骨を使用するというところから、奇想が積み上げられていきます。その有様は、「雪花石膏で作られた王宮の廃墟を歩いているようだった」と表現されます。そして、ロープをつけたロケットを三日月に向けて打ち上げ、ロープを引っかけてそれを足がかりに空の世界に赴くという大がかりな嘘に発展していきます。
この工程が、サシャのヒオリへの思いや契約への葛藤にむすびつきます。淡々と作業の様子が描かれているようでありながら、情緒の物語としても静かにひそやかに盛り上がっていきます。
『三体』でみせた異次元の想像力が童話的な想像力に凝縮されて、なんともいえない濃密な世界がつくりあげられています。