「卒業 〜開かずの教室を開けるとき〜 名探偵夢水清志郎事件ノート」(はやみねかおる)

 「夢水清志郎事件ノート」最終巻を語る前に、まずいっておきたいことがあります。どこでもいい、この作品にはなんらかの賞を与えるべきです。はやみねかおるはいまだに無冠です。児童文学界にも無冠の帝王と言っていい作家が何人も存在します。青い鳥文庫周辺を見渡せば、はやみねかおるをはじめ、石崎洋司松原秀行、令丈ヒロ子らがそれにあたるでしょう。彼らは無冠であることをむしろ誇っていい。偉い人には評価されなくても、多くのファンが作品のおもしろさを正しく保証しているのですから。でも、それでもこの作品には賞を与えるべきです。なぜなら、このシリーズに賞を与えないと児童文学界にミステリを正しく評価する能力が欠如していることが露呈されてしまうからです。本来なら「機巧館」が出た時にどこかが賞を出しておくべきでした。はやみねかおるの代表作である「夢水清志郎事件ノート」が完結した今が児童文学界にとってラストチャンスかもしれません。

そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)

そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)

 というわけで、1994年から続いた偉大なシリーズが完結したので、その功績を振り返ってみたいと思います。私見では、このシリーズは少なくともふたつ児童文学界に大きな足跡を残しています。
 ひとつは、児童文学界に本格ミステリを根付かせたことです。もちろん「夢水清志郎」以前の児童文学界に良質な本格ミステリがなかったわけではありません。80年代後半から90年代前半にかけては、偕成社のKノベルスが、「少年探偵ハヤトとケン」や「幸せな家族」など本格度の高い作品を送り出していました。しかし、児童書ミステリが一般のミステリファンの目にとまり、本格作品として広く注目されたのは、私の知る限りでははやみねかおるが初めてのケースです。2006年からは講談社文庫版の刊行もはじまって、ますます注目度が上がってきました。メタミステリ「機巧館のかぞえ唄」を頂点に、「夢水清志郎事件ノート」は児童書としてだけでなく、本格ミステリとして高い評価を受けています。
 はやみね以後の児童書ミステリはそれ以前に比べて格段にレベルアップしています。最近は、一般向けミステリでデビューした作家が児童書のレーベルで本格ミステリをものすケースも目立ってきました。芦辺拓の「ネオ少年探偵団」シリーズや大崎梢の「天才少年Sen」シリーズ、関田涙の「マジカルストーンを探せ!」シリーズなどです。また、もともと児童文学畑出身でありながら平然と質の高い本格ミステリをものす藤野恵美のような才能も現れています。こうした児童書ミステリの活況の礎をつくったのは、はやみねかおるおよび「夢水清志郎事件ノート」であると考えて間違いないでしょう。
 ふたつめは、現在の児童文学ライトノベル化の礎を作ったのも、やはりこのシリーズであるということです。名探偵という特異なキャラクターを抱えるミステリは、もともとキャラクター小説との親和性は高いです。「夢水清志郎事件ノート」はさらに名探偵以外の脇役もそれぞれキャラ立ちさせることに成功し、軽妙な作品世界を作り上げました。それを証明するのが、外伝の大江戸編です。大江戸編では本編のキャラクターが名前だけ江戸時代風にかえて登場するという、スターシステムが採用されていました。このスターシステムが成り立ったことが、キャラクターがしっかり作り上げられていたことの証明になります。
 「夢水清志郎事件ノート」が始まったのは1994年、京極夏彦がデビューした年です。まだ清涼院流水はデビューしていませんし、もちろん西尾維新も登場していません。講談社ノベルスが本格的にライトノベル*1する前から講談社青い鳥文庫の児童書ミステリはライトノベル化していたといえば、そのすごさがわかるのではないでしょうか。
 児童文学界にこれだけ大きな影響を与えたシリーズなので、正当な評価がなされることを願います。 前置きが長くなってしまいましたが、本題に入りましょう。最終巻「卒業」です。この本の最大の読みどころは、たった4ページの「おまけ 卒業式がおわって」の章です。その内容はというと、卒業式後の教室で名前のない男子生徒2名がどうでもいい会話を繰り広げるというだけのものです。少し引用してみましょう。

「卒業式だけどさ……。」
「なに?」
「なんにもなかったな。」
「そんなもんさ。」(中略)
「おまえも、第二ボタンついたままだな。」
「まぁな。」
 つづいて胸ポケットにはいっているサインペンを見ていう。
「それ、寄せ書き用だろ?」
「ああ。」
 サインペンは、買ったときのまま――まだ、ビニール袋の中にはいっている。
「せめて、包装の袋からだしておけよ。」
「どうして?」
「……哀しいじゃないか。」
「……そうだな。」(p499〜p500)

 卒業式だからといって、第二ボタンを取られたり告白されたりといったイベントが誰にでも起こるはずがありません。この2名の名前のない生徒の正体は明白です。それは読者です。特に何事もなく卒業式を終えるであろう(終えたであろう)読者をこういうかたちで物語に参加させたはやみねかおるの優しさに涙が止まりません。「夢水清志郎事件ノート」の半分は優しさでできています。

追記

 漫画版の「名探偵夢水清志郎事件ノート」(えぬえけい・漫画)が、第33回講談社漫画賞を受賞しました。めでたいことですが、はやみねかおるのホームグラウンドは児童文学界のはず。漫画原作者として評価されたのに、これで本業の方で評価されないとなると、いよいよ児童文学界がまずいことになってしまいます。繰り返しになりますが、このシリーズに正当な評価がなされることを願います。

*1:講談社ノベルスライトノベル化の時期についてはいろいろな見解があると思いますので、ここではあまり深入りしないことにします。