『ねむれなくなる本』(岩本敏男)

ねむれなくなる本 (偕成社の創作)

ねむれなくなる本 (偕成社の創作)

1984年に偕成社から刊行された、傑作(かつ問題作)しか入っていない短編集です。タイトルに一切偽りがありません。小学生時代にこれを読んでいたら間違いなくトラウマになっていたことでしょう。
各短編の内容を結末を含めて紹介するので、未読の方はご了承お願いします。
トップバッターの『手紙』は、「日本児童文学」1983年1月号が初出で、少女が母親を殺す話です。少女が離婚した父親に向けて書いた手紙という体裁になっています。淡々と近所で起こった出来事などを報告しながら、母親にネグレクトされていることをにおわせていきます。最後は酔っぱらった母親ともみ合いになり、冷蔵庫に突き飛ばして死なせてしまいます。ラストを引用します。

こんなとこにいたくない。自転車屋さんのお兄さんもそういっていた。わたし、お兄さんに連れていってもらうわ。いっしょにいくのよ。かみをとかしながら、そうきめてたのよ。
お父さん、雨はまだ降っているわ。ゆびがつめたいわ。いやだな。お母さんの白いたびが見えてる。

自転車屋のお兄さんとの駆け落ちを夢想するところなどからは、希望が読み取れなくもありません。それと同時に母親に対する冷たい視線も披露しているところが恐ろしいです。
この手紙は投函されたのでしょうか。いや、そもそも父親は実在するのでしょうか。妄想をふくらませていくとどんどん怖くなってきます。
この他の短編も、救いがなかったり結末がはっきりしなかったりする、後味の悪い話ばかりです。人生の暗い側面を容赦なく叩きつけてきます。
『あいつとおれ』は、友人が無理心中で亡くなったことをきっかけに、少年がナイフを持って不良少年に復讐することを決意する話。
『一匹』は、娘と母親が共謀して急に同居することになった姑をいじめ殺す話です。ウォークマンで「羊が一匹、羊が二匹……」という朗読のテープを聞かせるという嫌がらせの方法が斬新です。
『人生』は、望まれず受胎した胎児の視点で父親と母親(になるはずの男女)を観察する話です。はじめは語り手が誰なのかがぼかされているので、真相がわかってから「気がついたとき、ぼくはながれていくのかと思った」という冒頭の文を読み返すと背筋が凍ります。
『子盗り』は、少年が行方不明になった少女が見せ物小屋でろくろ首をやらされている様子を夢想する話です。少年は実は少女は虐待で殺されて床下に埋められてしまったという噂も聞いているのですが、そのことは流して見せ物小屋の夢想を続けます。少女が殺された現実を受け入れたくないために夢想を続けることしかできない少年の無力さが切ないです。
こんな鬱な話ばかりを子供に読ませて作者はなにがしたかったのでしょうか?当然そんな疑問は作者にはさんざんぶつけられていたはずで、あとがきで自分のスタンスを表明しています。

わたしは、〈大人のための〉とか〈子どものための〉とか、区別をして書いたことはいちどもないのです。いつもいっていることですが、子どもならびに大きくなった子ども、あるいは大きくなりすぎた子ども。そのためのものを書いています。
〈ための〉という言葉はいやですが、それでも〈ための〉というのでしたら、わたしはじぶんのためのものを書いているのです。わたしが生きていくために。
そして、これが子どものためのものかという声には、さびしいことですが、もうへんじをしないことにしているのです。(あとがきより引用)