『かさねちゃんにきいてみな』(有沢佳映)

かさねちゃんにきいてみな

かさねちゃんにきいてみな

第50回講談社児童文学新人賞受賞作『アナザー修学旅行』で2010年にデビューした有沢佳映の第2作。小学校の登校班で繰り広げられるバカ話をスケッチした、写実的ギャグ小説です。第1作では修学旅行の居残り組という珍しい素材にスポットライトを当てた有沢佳映、第2作でも目の付け所が鋭い作家であることをアピールしてきました。と紹介するとアイディア一発勝負の作家だと誤解されるかもしれませんが、そうではないことは作品を読めばすぐわかるはずです。
語り手は小学5年生のユッキー。彼は絶望のどん底にいました。なぜなら、彼と同学年の実沙が転校してしまったため、残された自分が来年の登校班の班長になることが確定してしまったからです。登校班の班員はユッキーを含めておバカばかり。頼りになるのは現班長の6年生のかさねちゃんだけです。かさねちゃんは難しい本ばかり読んでいる頭のいい子で、班員がどんなに騒いでも動じない「仙人みたいにおだやか」な人格者です。かさねちゃんが卒業してしまうと班が崩壊してしまうことは目に見えているので、ユッキーの悩みはつきません。
基本的に物語の舞台は登校中だけで、内容は無駄にテンションの高いおバカな小学生のどうでもいい話だけです。それがやたらにおもしろい。たとえば、班内ではよく縛り付きのしりとりをやるのですが、かっこいいもの縛りで「ぬけ忍」という言葉を使いたいのに使うと負けてしまうというジレンマに悩む班員が出てきたります。一方かさねちゃんはひとりだけ知的レベルが違うので、怖いもの縛りで「エボラウィルス」を出したりします。もちろん他の班員には理解できませんが、かさねちゃんが言うことなら納得してしまいます。あるいは、顔が細くて謎めいたところのある人をすぐキツネじゃないかと疑って、『キツネがバケてると思うリスト』をつけている班員がいたりもします。いかにもおバカな小学生がやりそうなことが適度に誇張されていて、読んでる最中は笑いが止まりません。

以下、作品の結末等に触れていますので、未読の方はご了承お願いします。


しかし、そのバカ話の中にも不穏な空気が混入されています。そもそも、「かさね(累)ちゃん」という名前からして、そんな名前を付ける親御さんはどんな人なんだろうという下衆な好奇心を喚起するように設定されています。さらに、班員にはリュウセイという極端にがまんの苦手な子がいて、彼は親から育児放棄されているのではないかという疑惑も浮上してきます。
しかし、いろんな問題はスルーされたまま、終盤までバカ話が展開されます。どうやって話を収めるつもりなんだと最後まではらはらさせられますが、12月23日(学校がない日!)をクライマックスとしてかさねちゃんからユッキーへの世代交代が果たされ、きれいに物語はたたまれます。
この12月23日のエピソードがいいのです。建前上はユッキーとかさねちゃんが虐待親から保護されたリュウセイに会いに行く用事だということなっていますが、ユッキー視点からみたら大好きなかさねちゃんとふたりっきりでお出かけというシチュエーションにほかなりません。まだ恋がわかっていないおバカな小5男子が舞い上がるさまが、もう見ていられません。
ところで、この物語は11月15日月曜日に始まり、12月23日木曜日に終わります。そしてエピローグとして、翌年新学年の始業式4月7日木曜日の話が出てきます。作中に外国の人ではない車いすに乗っているホーキングが書いた本が図書館の子供の部屋にあったという情報が出ているので、14歳の世渡り術の『差別をしよう!』が出た2009年以降がこの作品の舞台だということになります。この条件で日付と曜日が当てはまるのは、2010年・2011年です。となると、作中で語られない2011年3月に東日本大震災が起きているはずなのですが、エピローグにはそれについての言及はありません。東日本大震災を題材とした児童書はたくさん出ていますが、有沢佳映のあえて語らないという選択も重要なのではないかと思います。
エピローグから確実にわかるのは、震災を経てもかさねちゃんへの信頼は揺るがなかったということです。あの状況下でもかさねちゃんはきっと淡々と班を統率していたのでしょう。それが容易に想像できるくらい彼女のキャラクターは確立されています。