2017年12月8日、丸善丸の内本店にて、ひこ・田中×田中哲弥×田中啓文の3田中が語り合う「とりあえず、笑っとこ。3田中が語る子どもと笑い」と題された謎イベントが開催されました。なぜこの3人の田中が集結したのか、全員関西在中の作家なのになぜ東京は丸の内で開催されたのか、暗躍する福音館書店の敏腕編集者の正体とは……? 謎だらけのイベントですが、児童文学と笑いに関する貴重な話をうかがえたので、ここに書き残しておくことにします。
なお、ひこ・田中の発案によりトーク中はお互い「田中さん」と呼び合うという趣向になったので、会場の空気を再現するためここでは3田中とも「田中さん」と呼ぶことにします。わたしのメモと記憶が適当でどれがどの田中さんの発言であったのか責任が持てない部分があるという理由ではないということは、くれぐれもお断りしておきます。
児童文学と笑いについて
まずは、読者を笑かすために書かれた児童文学がおかれている苦境について語られます。笑える作品は賞レースには参加できない、どんなに工夫を凝らしてもうんこやおしっこで笑いをとろうとする児童書と同レベルだと扱われてしまうことなど。田中さんと田中さんは口を揃えて作家志望者に「笑いはやめておけ」とアドバイスしました。
話芸と文章の笑いの違いについても言及されます。話芸であれば演者が間をコントロールできるが、文章ではそれができないのが難しいと。文章を選んだりリズムを整えたりして間をつくろうとしても、読者がその通り読んでくれるとは限りません。しかしそこにやりがいがあるとも、田中さんは語っています。
子ども読者には信頼をおいていて、田中さんは「本を読む子はかしこいから笑いが理解できる」と、田中さんは審査員を務めている書評漫才で「子どもは意外とものを考えていることがわかった」と述べていました。
『鈴狐騒動変化城』について
- 作者: 田中哲弥,伊野孝行
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2014/10/09
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評論家でもある田中さんから「『鈴狐』は普通はすっとばさないところをすっとばして平気で物語が進んでいくところがすごい」との論評があり、ここから本格的な作品論が始まります。当の田中さんは、『鈴狐』は『スター・ウォーズ』であり民話や昔話の類型なのだから、物語自体はしょーもないと言い放ちます。瞬間瞬間で笑かすことが重要であり、普通なら書くことはあえて書かない、読み終わったあとに話が残らない作品が理想で、『鈴狐』は初めての児童書だから手加減してちょっといい話にまとめたのだそうです。
田中さんの主軸であるSF論にも踏み込んでいきます。SFはなにやってもええもので、地に足がついていない、であれば、説明は不要であると。「これ全部うそなんで」というアナーキーな言葉が印象に残りました。
『落語少年サダキチ』について
- 作者: 田中啓文,朝倉世界一
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2016/09/15
- メディア: 単行本
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田中さんが先をまったく考えずに書くタイプであるのに対し、田中さんは先は考えるが途中で変わってしまうタイプで、変化した結果おもしろくなるのが嬉しいのだと言います。逆立ちができなかったサダキチが最後にできるようになるところなどが成長物語として成立していると田中さんは指摘しますが、それは結果的にそうなっただけで最初から意図していたものではないのだそうです。伏線っぽくみえるものも、今の段階では何も考えていないのだとか。いや、『忘却の船に流れは光』とか『罪火大戦ジャン・ゴーレ』みたいな無茶苦茶な作品ほどきちんと設計図を書いてその通りに進めないと成立しないんじゃないかと素人は思ってしまいますが、それを成立させてしまうのが作家のおそろしいところです。
田中さんに啓蒙しようというような意図はなくとも、作品を読んだ子どもが知識を深めて「なるほど」と思えるところがいいのだと、田中さんはきれいにまとめました。
田中さんが語ったSF作家としての創作論にも触れておきます。小説というものは「なんでもあり」なのだが、それを時々忘れてしまうので立ち戻らないとならないのだと言います。「起承転結は忘れたほうがいい概念」「小説なんて嘘」と、田中さんと同様アナーキーな発言が連発されました。
『なりたて中学生』について
- 作者: ひこ・田中
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/01/30
- メディア: 単行本
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感想
「笑い」に主眼をおいた児童文学は軽視されがちでなかなか正当な評価を受けないものです。それでも子どもを笑かしたいという思いで作品を書いている作家がいるということ、賞レースには縁がなさそうなのにそんな作家をサポートする編集者がいるということ、報われにくい分野で児童文学を支えている人々が情熱と理論を持って取り組んでいるのだということを再認識させられました。児童文学の未来に希望が持てるイベントでした。