『ひとりぼっちの教室』(小林深雪/他)

YA! アンソロジー ひとりぼっちの教室 (YA! ENTERTAINMENT)

YA! アンソロジー ひとりぼっちの教室 (YA! ENTERTAINMENT)

「YA! アンソロジー」の新刊は、いじめが全体のテーマとなっています。読み進めていくと誰もが気づくことですが、この本に登場するいじめ被害者のほとんどは、示し合わせたように小説を書く子どもに設定されています。最初の小林深雪作品、次の戸森しるこ作品、3番目の吉田桃子作品がそうで、例外は最後の栗沢まり作品だけです。ここに、物語を語る大人と子どもの関係などについて、重大な問題が示唆されているように思います。ただし、今回はそこには踏み込まず、タイトルと作中の子どもが書く作品のタイトルが一致するという仕掛けを持つ、吉田桃子の『転生☆少女』について少々語ります。
この作品の主人公は「どうせ私なんて」という呪いの言葉を口に出してしまうと中学2年生に戻るという設定で、大人になりながらも中2に戻るループを繰り返しています。
大人が現在学校で苦しんでいる子どもに助言しようと思っても、その言葉は力を持ちません。その人が大人になってしまった以上生存者バイアスからは逃れられませんし、どうしても非当事者としての発言になってしまいます。この設定は、そうした大人が語ることの難しさを克服するためのひとつの手法として機能しています。

でも、中学生は大人じゃないんだよ。「今」は永遠に続くような気がするし、そもそも自分がちゃんと大人になれるのかさえもわからない。私が特殊なだけで、本来は中学生は人瀬で一度だけしかなれないから。そこにあるすべてが『初めて』だから。(p117)

ループした中2になった主人公は、中学2年生の着ぐるみを着た「ニセモノ」の中学生です。当たり前のことですが、児童文学に登場する子どもはほとんど大人が仮装した「ニセモノ」です。ここをごまかさない誠実さもこの作品の美点です。
主人公は、自分の体験を元にした『転生☆少女』という小説を書き、ループから抜け出します。二層構造の作品なので、その構造については妄想の余地があります。ここで余計なことながら、悪趣味な想像をしてみましょう。吉田桃子の『転生☆少女』と作中作の『転生☆少女』が一致するとしたら、そして作中作の『転生☆少女』の作者はただの中学生でいまも学校という檻に閉じ込められているとしたら、これは怖いです。