『レモンの図書室』(ジョー・コットリル)

レモンの図書室 (児童単行本)

レモンの図書室 (児童単行本)

幼いときに母を亡くしたカリプソは、父とふたり暮らし。画家であった母の部屋は、いまは大量の本のある図書室になっています。孤独な父はレモンの歴史に関する原稿の執筆に没頭中です。
文学好きの芸術家の母が残した図書室のある家という設定は、なかなかロマンチックにみえます。ただし問題は父です。妻を失った哀しみを乗り越えられない父は、娘も他人を拒絶して孤独に生きさせようと、呪いの言葉をかけ続けます。家事も半分放棄していて、家庭は崩壊寸前でした。メンタル不調な親との生活という非常にシリアスなテーマの作品となっています。カリプソはやがて、〈大人の世話をする子どもの会〉というみもふたもない名前の共助グループに入ることになります。
レモンと本の鮮烈なイメージにより、父のメンタルの危機を衝撃的に描き出しています。とはいえ、子ども向けの本でこのような問題に過度にリアリティを出すのも考えものです。この作品の描写は、子ども向けの本としてのリアリティを抑える配慮としても機能しているように思います。
幸運なことにカリプソは、文学少女の転校生メイとの出会いによって、父のカウンセリングや共助グループへの参加など適切な支援を受けられるようになりました。しかし、支援に繋ぐことはハッピーエンドではなく、スタートラインでしかありません。共助グループの仲間からカリプソは、「カウンセリングに行くとおかしくなる」という不吉な予言を与えられます。
父の問題によって、さまざまな格差が露わになります。メイの一家は裏表のない善意でカリプソと父に親切にしてくれますが、親切にされればされるほど幸福の格差を見せつけられるようでつらくなります。しかし、共助グループのなかではカリプソは恵まれた方でした。親の状態も比較的軽い方で、なにより芸術家体質の家庭で育てられたカリプソは、文化資本には恵まれています。ただしそれには偏りがあり、他の子と違ってDSやXboxに触ったこともないカリプソは、ある意味では文化資本に乏しい子であるともいえます。『グランド・セフト・オート』は最高だと力説する共助グループの仲間とカリプソのあいだには、埋めがたい溝があります。物語自体は希望を匂わせて終わりますが、現実で改善しなければならない問題は山積しています。