『ある子ども』(ロイス・ローリー)

ある子ども

ある子ども

ディストピア児童文学の伝説的な金字塔『ザ・ギバー』の完結編が、とうとう邦訳されました。原書の第1部は1993年に刊行、完結編第4部は2012年に刊行されています。第3部までの主要な登場人物がみな出演し(二度と顔も見たくなかったあいつも含めて)、舞台も移り変わり、約20年をかけて語られた物語が収束します。
ザ・ギバー―記憶を伝える者 (ユースセレクション)

ザ・ギバー―記憶を伝える者 (ユースセレクション)

物語の発端の舞台は、第1部の舞台だったあのディストピアです。職業やパートナー・子どもまでも委員会に決められ、薬で欲望を抑制される、まったく自由のないあの管理社会で、〈出産母〉という職業に任命されたクレアという少女が、はじめの主人公となります。3年間〈産物〉を生産した後は生涯厳しい労役を課される〈出産母〉は名誉に乏しい職業で、〈イレモノ〉という蔑称さえ与えられていました。生まれた〈産物〉は〈養育センター〉でしばらく育てられてから、委員会の決めた夫婦に配給されます。〈出産母〉は自分の〈産物〉と関係を持ちませんが、なぜかクレアは〈産物〉に執着し、何度も〈養育センター〉に赴きます。その〈養育センター〉の職員の息子はジョナス(掛川恭子訳では「ジョーナス」と表記)。つまり、この〈産物〉は第1部で〈リリース〉されそうになったあの子どもであり、あのジョナスの決断に巻きこまれます。そして、あの運命の日からその後の物語が語り出されます。
物語の構成はシンプルです。それだけに、母と子の物語・善と悪の物語といった普遍的な物語に強度が与えられ、象徴的な悪との戦いの物語に展開していきます。第1部が欲望を消されたディストピアの物語だったのに対し、第4部の悪の化身が人の欲望を増大させる存在であったことは、ちょっと整合性がどうなのかという気はします。が、どちらにしても極端なのはよくないということなのでしょう。
現在形で語られるラストシーンは、よい余韻を残します。完結編の刊行をきっかけに、『ザ・ギバー』の読者がさらに増えてくれれば嬉しいです。