『ねこのポチ』(岩本敏男)

ねこのポチ (PHP創作シリーズ)

ねこのポチ (PHP創作シリーズ)

1986年刊。小学3年生のますみの家は、両親の仲が冷え切っていてギスギスした空気に支配されていました。家のローンで経済的に厳しくなり会社での出世競争にも敗れた父は酒浸りになってしまいます、母は家計を支えるためにパートに出ようとしますが、妹のかすみが精神不安定になって人を噛むようになってしまったため家から離れることができなくなってしまいます。
描かれる不幸があまりにありふれているため、鬱度の高い作品になっています。ますみの周囲の人間も不幸な人間ばかりで、お隣のまゆちゃんの家は父親がおらず母親は夜の仕事をしていて羽振りはいいのに、やがて夜逃げのように引っ越ししてしまいます。不幸な子どもには友達がいないのがデフォルトで、当然のようにますみには学校に友達はいません。ますみが気になっている転校生の男子岡崎くんにも友達はおらず、いつもクラスの乱暴な男子にいじめられています。ますみが岡崎くんのために乏しいお小遣いからクリスマスプレゼントを買ったのに結局渡せなかったというエピソードが、それはもう泣かせます。

いっとくけど、まだポチがくるまえのことよ。わたしんとこ、なんだかおかしくなってたの。
なにがおかしいって、おとうさんとおかあさんよ。けんかをしているわけではないのに、いつのまにか、くちをきかなくなっていたの。

この冒頭の語り出しを呼んだ瞬間に背筋が凍りました。この語りは、『ねむれなくなる本』に収録されている短編「手紙」の主人公、自分の母親を死に至らしめた女の子の語りとまったく同じなのです*1。ますみの語りは、ところどころおそろしい冷たさが感じられます。しかし、それ以上に冷え切っているのはますみをとりまく世界の方です。『真夜中の理科室』の主人公が幻視した、極寒の吹雪の世界で身を寄せ合うサルの家族。あれこそが、岩本敏男の考える現代の姿だったのでしょうか。
孤独で不幸な人は孤独で不幸な人にしか顧みられないのに、そうした人同士が結びつくことは困難です。この作品の登場人物は孤独で分断された個人の連帯に失敗し続けていますが、成功のかすかな可能性はしっとりと描かれています。

*1:「このような語りをするような子は自分の母親を殺すような子なのだ」とはあまりにもひどいいいがかりなので、ますみの名誉のために付け加えておくと、テンションが上がると「めちゃくちゃなジャズダンス」をひとりで踊るというお茶目な一面も彼女は持っています。