『エヴリデイ』(デイヴィッド・レヴィサン)

エヴリデイ (Sunnyside Books)

エヴリデイ (Sunnyside Books)

主人公は精神寄生体のA。Aは物心ついたときから(おそらく生まれたときから)目を覚ますたびに同年代の誰かの体に憑依し、1日だけ体を乗っ取って生活するという日々を送っていました。なんてぶっとんだ設定なんだと思った方は、翻訳家の名前を確認してください。また三辺律子の犯行です。三辺訳の作品だと考えれば、このくらいの設定は通常営業です。
Aは宿主の記憶にアクセスすることができ、そこから得た情報を元にできるだけ宿主の人生に影響を与えないようにおとなしく過ごそうとしていました。しかし、16歳のある日、お世辞にも好感を持てるとは言い難いジャスティンという少年に憑依してからその信念が揺らぎはじめます。Aはジャスティンの彼女のリアノンに本気で恋をしてしまったのです。
寄生体であるAは、人間は肉体に支配されているのだということをよく知っています。重い病気の持ち主に寄生したり、薬物依存者に寄生したりすると、その肉体の影響からは逃れることができません。この設定により、人は他人には理解しがたい多様な困難を抱えているのだということがわかります。精神疾患も気分や性格の問題ではないということをAは知っています。希死念慮を持つ人物に憑依したAがその子を救おうと奔走するエピソードは、1日の物語のなかではもっとも感動的なものになっています。
Aは魂だけのような存在なので、性自認も性指向も超越しています。宿主に恋人がいれば、宿主がシスヘテロであろうがマイノリティであろうが、その恋人を愛することができます。また、自分がどのような姿になってもリアノンを愛することにかわりはありません。このあたりは、多様性を称揚する現代のYAらしい作品のようにみえます。
しかし、この作品はそういった建前だけでは終わりません。「容れ物をみないで。中身を見てほしい」という要求が受け入れられないラインがあるということも描いてしまっています。つまり、性的マイノリティに対する差別よりもルッキズムの方が根深いということです。やはり人類は、テッド・チャンの「顔の美醜について」にある〈カリー〉を受け入れるべきなのでしょうか。
リアノンへの恋の行方が物語の主軸となります。もうひとつ、Aに寄生されたことを悪魔に取り憑かれたのだと思いこんでAの正体を探ろうとする少年との確執も物語のラインとなるので、先を読みたいと思わせる吸引力は高いです。現代的なテーマ・意表をつく斬新な設定・高度な娯楽性、この三拍子そろった作品を多数紹介してくれる三辺律子から目が離せません。