- 作者: 魚住直子,西村ツチカ
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 2018/09/19
- メディア: 単行本
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このタイミングで現れる謎の女の子の正体は、児童文学を読み慣れた大人であれば容易に想像できることでしょう。そのファンタジー設定自体はありふれたものです。では、この作品の特色はどこにあるか、それは〈スージー〉の言葉の強さにあります。
わるい親は、子どもを見ていない。
見ていても、外がわだけだ。心は見ていない。
見ていないくせに、自分がさせたいことを押しつける。
しかも、それを自分で意識していないから、たちがわるい。
(中略)
親は、自分が絶対に正しいと思いこんでいる。
自分の子どもだから、絶対にわかりあえると信じている。
でも、正しさはひとつじゃない。
わかりあえるのも、相手の気持ちを大事にしたときだけだ。それは他人同士のときと同じだ。
わたしは、親に支配されたくない。わたしは、わたしの道を行きたい。
(p34-35)
「親が子どもに向かって『悲しくなる』っていうのは、子どもに罪悪感を感じさせてだまらせるずるい言いかただよ。子どもは親が好きだから、悲しませたくないでしょ。親はそこにつけこむんだよ。」
(p62)
〈スージー〉の言葉にはレトリックがありません。飾らない言葉だからこそ力を持つのです。
現実の子どもの前に〈スージー〉が現れることはありません。しかし、言葉を届けることはできます。それが、児童文学の重要な役割です。
見逃してはならないのは、この作品の主要なテーマはジェンダーの問題「ではない」ということです。陽菜子は、男だけではなくおばさん(母の妹)も家事をしていないということを観察しています。この作品はジェンダーとは別の根深い問題にも踏みこもうとしているのだいうことは、きちんとおさえておく必要があります。