『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング)

カッコーの歌

カッコーの歌

2017年に刊行された初邦訳作品『嘘の木』で、ミステリ界隈を中心に日本の目の肥えた読者たちに大歓迎されたフランシス・ハーディング。とうとう待望の邦訳第2作が出ました*1。今度は百合ファンタジーです。こちらも『嘘の木』に比肩する大傑作でした。
地方の名士の娘トリスの身に不可解な異変が起こるところから、物語は始まります。池に落ちて生還したトリスには、「あと七日」というなにかをカウントダウンするような幻聴が聞こえるようになりました。異常な食欲がわいたりと身体にも変調が訪れます。妹のペンはトリスを激しく拒絶し、なにか秘密を知っているということをほのめかします。
『嘘の木』と同じく謎の多い作品なので、ネタを割らないように気をつけながら内容を紹介しなければならないのがもどかしいです。序盤はトリスの謎をめぐって、重苦しくミステリアスに物語は進んでいきます。そして、トリスの謎が明らかになり周囲の人々がいままでとは異なる顔を見せるようになると、物語は一気に加速していきます。
当たり屋なんか日常茶飯事、『嘘の木』主人公フェイスも顔負けの天性の嘘つき娘。姉妹愛のためならどんな危険もいとわない、颯爽とバイクを駆る雪の魔女。自分の信念のために容赦なく邪魔者を断つ、怪人ハサミ男。こういったイカれた面々が暴れ回り、さらに橋の下の異世界「下腹界」の異形たちも入り乱れて、超絶おもしろい冒険活劇になります。
舞台は第一次大戦が終わったばかりのイギリスです。トリスとペンの兄のセバスチャンが戦死したため、家族の時間は凍結していました。なぜか亡くなったはずの兄から手紙が届いており、手紙の中の兄は雪のなかで終わらない戦争を続けていました。白黒の映画のスクリーンのなかの過去に固定された灰色の人々にペンが襲われる場面も印象に残ります。作品世界内の時間は停滞しています。
しかし、時代は進んでいきます。この戦争は、ジェンダーの変革をもたらしたという面も持っていました。元々は女性用アクセサリーであった腕時計が、その利便性から戦場の男性にも使われるようになったということ。戦時に工場などでの労働を経験した女性が、自立して生きる手段を獲得したということ。時間の停滞と進展、静と動の対立が作品の大きなテーマになっているようです。とはいえ、こんな小理屈をこねる必要はありません。読者は物語のダイナミックなうねりに身を任せていればいいのです。

「だがハサミは、たったひとつの仕事しかしない。物をふたつに切りわけることだ。力で分ける。すべてをこちら側とあちら側にして、あいだにはなにも残さない。確実に。われわれはあいだの民だ、だからハサミがきらう。ハサミはわれわれを切り裂いて、理解したがっているが、理解するということはわれらを殺すも同じなんだ。」(p243)

邦訳第1作『嘘の木』は、ダーウィン以前の迷妄を打ち払い世界を理性の光で照らす、ミステリ要素の強い作品になっていました。一方『カッコーの歌』は、理性の光だけでなく物語の闇にも注目しています。

「昔の人なら物語を語ったでしょうね」男の連れがいう。「火のそばで、暗闇を寄せつけないように。でも、闇は常に物語に入りこんでくる。少なくとも、聞く価値のある物語には。真の嘘には」(p388-389)

*1:実際の刊行順は『カッコーの歌』が第6作、『嘘の木』が第7作。