『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(斉藤倫)

カップめんにお湯を入れていたりレトルトカレーをお湯に沈めていたり、必ず「ぼく」がものを食べようとするタイミングに「きみ」はやってきます。そして、「ぼく」と詩や言葉をめぐる対話をして帰って行きます。
作品の雰囲気の懐かしさは、00年前後の理論社YAの空気を思い出させることによるのでしょう。いしいしんじの『ぶらんこ乗り』や可能涼介の『はじまりのことば』のような、幼年性や少年性を装ってことばや世界についてふわっと考察を深めていくようなタイプの作品群と同じようなにおいが感じられます。小学校高学年や中学生のちょっと知的に背伸びしてみたいという欲求に応える作品はいつの時代も必要ですから、この作品の登場は歓迎したいです。
「ぼく」は、さまざまな名詩を紹介しながらその楽しみ方をことばで解きほぐしていきます。詩に苦手意識を持っている人はとにかく詩はわけのわからないものだという先入観を持っているものなので、こうやって理詰めで解説するアプローチは効果がありそうです。
そして作品は、言葉と文学をめぐる人間の切実な願いに踏みこんでいきます。

「でも、ひとが、もじをつくったのも、こころや、できごとを、のこそうとしたからなんだ。そのおもいが、じぶんといっしょに、ほろびてしまわないように」(p49)

作中の人間関係については明確な説明はなされていませんが、「ぼく」の親友が「きみのおとうさん」であり、「きみのおとうさん」は早世の詩人であったという設定になっています。大人の読者であればここで、著者の斉藤倫と親交のあった笹井宏之のことを思い出すのではないでしょうか。そういった予断を持って読むと、最後に「えいえん」ということばがひらがなで祈りのように記述されていることが、なにかのオマージュなのではないかと思われます。ゆびをぱちんとならしているあいだに「きみ」は成長し「ぼく」は年老いて死に、やがて「きみ」も死んでしまう、そんなはかない人生にどんな意味を見出せばいいのかという難問。

えーえんとくちから (ちくま文庫)

えーえんとくちから (ちくま文庫)

もちろんこうした読みは、背景の知識を持たない本来の読者には無関係です。でも、はっきりとは語られない作中の人間関係に想像力を及ぼし、なにかを感じ取ることはあるのではないでしょうか。