『もえぎ草子』(久保田香里)

亡母が内裏の女官であった萌黄は、12歳で職御曹司での下働きを始め、母と同じように出世の糸口をつかもうとします。時は定子の父が亡くなり兄たちがやらかして没落が確定的になったころ。萌黄は清少納言ともわずかに関わり、定子サロンの最後の輝きの一端を目撃します。ところが、紙を盗んだという疑いをかけられて職御曹司から追放されてしまいます。

中宮清少納言も、このできごとをまた、女房たちと明るく過ごすための笑い話にするのだろう。
(p185)

わたしは枕草子の優雅なエピソードも好きだし、定子の没落という背景の悲劇性も知っているので、それなりに定子サロンには好感を持っています。この作品は庶民からみれば清少納言も定子も下々の者を踏みつけにしてなんとも思わないクソ貴族なのだということを突きつけてくるので、正直なところ目をそらしておきたいところをみせられてしまったという感想を持ってしまいました。あの楽しい雪山争いのエピソードなんかも、それに振り回される下々のものからみれば地獄なわけですよね。これは重要な視点です。
そんな階級上の断絶はありますが、造紙手の父を持つ萌黄は紙を愛するという点において清少納言に共感を寄せます。そこにかすかな希望がみえます。
平安時代を舞台にしたこの『もえぎ草子』、中国を舞台にしたまはら三桃の『思いはいのり、言葉はつばさ』、架空の世界を舞台にした菅野雪虫の『アトリと五人の王』と、同時期に中堅の女性作家による力作が続きました。この3作はそれぞれ趣向は違いますが、女子が生き抜くためには文字と紙が大事であるという思想は共通しています。この共通項は興味深いです。