『貸出禁止の本をすくえ!』(アラン・グラッツ)

貸出禁止の本をすくえ!

貸出禁止の本をすくえ!

わたしは「スーパーヒーロー・パンツマン」には興味がないけど、べつのだれかは、「パンツマン」のことを、『クローディアの秘密』ぐらいおもしろいって思うだろう。

クローディアは秘密を持てる、エイミー・アンは秘密を持てない、この差が問題です。
主人公は読書が大好きな小学4年生のエイミー・アン。ある日エイミー・アンは、何度も読んでいる『クローディアの秘密』が学校図書館から消えていることに気づきます。司書のジョーンズさんによると、ある児童の保護者で地域の有力者でもある人物のクレームにより教育委員会が動き、本を貸出禁止にしたとのこと。ジョーンズさんとエイミー・アンは教育委員会に抗議に行きますが聞き入れられません。エイミー・アンはこっそり自分のロッカーに禁止された本を入れて他の児童に貸し出す秘密の図書館をつくるというかたちで抵抗を始めます。
ハリー・ポッターには本物の呪文が書かれているから子どもには読ませないようにするなどという向こうの話を聞くとあまりにもバカバカしいと思ってしまいがちですが、学校図書館への不当な圧力や表現への弾圧は日本でも他人事ではありません。権力を持つ保護者が自分の子どもがけしからんものを所持していたのを見つけたことをきっかけに表現規制を推し進めたという例は、日本でも聞いたことがあるような気がします。
理不尽な大人への抵抗が社会的な活動につながっていくさまを娯楽性たっぷりに描いていて読ませてくれます。日本の作品でいえば古田足日那須正幹、あるいは宗田理あたりの作品が思い出されます。一方で、議会が身近な存在として登場すること、リーガルマインドに基づいた議論がなされること、このあたりにはお国柄の違いが表れていて興味深いです。
ということで、娯楽性の高い優れた社会派児童文学ではあるのですが、結末には納得がいかなかったので書き記しておきます。未読の方は読まないようにお願いします。










司書のジョーンズさんは保護者には子どもの読書を制限する権利があるとし、エイミー・アンは『ハンガー・ゲーム』は読んじゃダメという親の命令を素直に聞いて物語は終わります。いや、むしろ子どもは保護者からこそ守られなければならないのではないでしょうか。保護者の政治的思想や宗教的信念がどうあれ、子どもにはたとえば性教育や進化論の本を読む権利があるはずです。
エイミー・アンも家庭に不満を抱えています。エイミー・アンが家出しようとしたとき、車で追いかけてきた母親は優しい言葉で丸めこみます。エイミー・アンはクローディアと違って、家出をすることも内心の秘密を持つことも許されません。温かい愛情による支配から抜け出すことができないのです。
ただ最後にちょっとだけ、親の支配力の及ばない学校図書館でエイミー・アンが『ハンガー・ゲーム』を読む場面を付け加えたなら、彼女は救われたのではないでしょうか。それこそが学校図書館の役割だとわたしは考えます。
保護者の監督権に絶対の信頼を置く人がこの本を肯定するのはかまいません。ただし、『クローディアの秘密』を良書だと考える人が『貸出禁止の本をすくえ!』を肯定するのであれば、一貫性がないとの批判は免れません。