『空飛ぶくじら部』(石川宏千花)

中学生の鰐淵頼子と犬走凪人、ふたりは幼いころからたびたび時間停止現象を経験していました。そんなときには必ず空に巨大なくじらが浮かんでいて、それに吸い上げられてタイムスリップしないと停止した時間から抜け出せないことになっていました。
この本では、ふたりの数え切れないタイムスリップ体験のうち、6回の出来事が語られています。とばされる時代は戦時中に昭和後期に恐竜の時代と、さまざまです。時代を越えることにより価値観の変化を学ぶという教育的要素も添えつつ、人気作家ですからしっかりとエンタメにしています。
わたしがいちばん好きなのは、あまりお説教要素のない第2話の「ゾンビ」。人気のない場所に飛ばされたふたりは、今回はゾンビに滅ぼされた未来にとばされたものだと思います。そこにマスクをした女性が現れ、意味不明な行動をとります。今の中学生の親くらいの世代であれば、これがなんの話なのか容易に予想できることでしょう。上の世代には深刻な恐怖だったものを素材にしながら、異常設定と勘違いがコミュニケーションの齟齬を生む秀逸なコメディとして料理していました。
空飛ぶくじらの目的はまったくわからず、ふたりは理不尽にもてあそばれるだけです。ふたりの名前に動物が含まれていることから、これは人類家畜テーマのSFであると予想するのは考えすぎでしょうか。ただ、小説の作中人物というのは作者の都合で振り回されるものですから、そういう意味で作品世界は実験場であり、作中人物は家畜であるとはいえます。
それにしてもふたりは、いくら場数をふんでいるとはいえ状況を淡々と受け止めすぎなようにみえます。命に関わるような事態にも慣れきっているようです。この理不尽さに対する諦念のようなものには、現代性が感じられます。