『生きつづけるキキ ーひとつの『魔女の宅急便』論ー』(斉藤洋)

斉藤洋による『魔女の宅急便』の評論です。が、優れた本は様々な顔を持っているもので、この本は評論であるだけでなく、評論と創作の指南書としての側面を持っています。そして、この評論自体が最高に楽しいエンターテインメントにもなっています。
基本的に『魔女の宅急便』の教養小説としての側面に即して物語をなぞっていき、象徴性や構成の企みなどを読み解いていきます。ここで基本的な小説の読み方を学べます。裏を返せば、創作する側の観点を知ることもできるようになっています。斉藤洋は前書きで、自分が「『魔女の宅急便』刊行の二年後に刊行された『ルドルフとイッパイアッテナ』の作者」であることを確認しています。これは、『生きつづけるキキ』を読んだ後にその成果をいかして練習問題として『ルドルフとイッパイアッテナ』を読み解いてみよという目配せなのかもしれません。
さて、この本は二部構成になっています。まずは斉藤洋による評論パート、次に斉藤洋角野栄子の対談が配置されいます。斉藤洋角野栄子といえば、現代の児童文学界で作品数・人気・実力ともにトップレベルの大御所であり、曲者でもある人物です。このふたりが対談をするというだけで期待が膨らみますが、斉藤洋は期待以上のエンタメとして仕上げてくれました。
まず斉藤洋は、初対面のとき自分が角野栄子におびえきっていたというエピソードを紹介し、ふたりの力関係を読者に印象づけます。そして対談では、角野栄子斉藤洋の思考の癖を的確にあげつらって、追い詰めていきます。「どうしても意味をふたつに分けたいのねえ(笑)。対立とか……。」「あなたは、ずいぶんお母さんにこだわるわね(笑)。」とか。つまり、最初はひとりで評論をしてイキっていた斉藤洋が、本人を前にしてコテンパンにされるという構図のエンタメになっているのです。インタビュー後に斉藤洋はこのように述べます。

今回、角野栄子のインタビューをする機会を得て、というか話を聞いて、作家の作品論を描くには、インタビューは不要だということがわかった。
たとえば、Aという作品があって、その作品をどういうつもりで書いたか、書いた作家にきいて、これこれこういうつもりで書いたという答えが返ってきたとしても、相手は作り話の専門家なのだ。その答えが本当かどうか、わからない。(中略)
その点、作品だけから、つまり、〈作り話〉として公に発表したものだけから、その作品の意味なり価値なりを探れば、そういう憶測は入りにくいし、それがもっとも迷わずに、作品という森を抜ける道なのだと、実は、角野栄子と話していうるちにわかった。

この流れだとこれは負け惜しみにしかきこえません。ただし、斉藤洋は自分を道化役にすることで、純粋にテキストに向きあうという作品の読み方を指南してもいるのです。斉藤洋のサービス精神にはひれ伏すしかありません。
評論のなかで斉藤洋は、児童文学作家は読書好きの少年少女を対象に想定してはならないと戒めています。読書好きの子しか読めないようなたいしておもしろくないシーンを長く書くのは、読書慣れしていない子に苦痛を与え本嫌いにさせてしまうことにつながってしまうと。児童文学作家は必然的に娯楽性に長じていなければならないという矜持の持ち方は、とてもかっこいいです。
魔女宅論としてしっかりしているのはもちろん、評論や創作を志す人の参考にもなるよい本でした。