『魔女ラグになれた夏』(蓼内明子)

魔女ラグになれた夏 (わたしたちの本棚)

魔女ラグになれた夏 (わたしたちの本棚)

青森市に住む三姉妹の末っ子岬の2020年*1夏の物語。長女の光希は2000年のシドニーオリンピック、次女あてねちゃんは2004年のアテネオリンピック、末っ子岬は2008年の北京オリンピックと、三姉妹はみんなオリンピックイヤーに生まれていました。東京オリンピックを前にしてひとつ上の姉のあてねちゃんの様子がおかしくなり、岬は心配でたまりません。
蓼内明子は成長の一過程にある子どもの存在を切り取りません。前作の『きつねの時間』もそうであったように、幼年と結びついて歴史性を持った立体的な存在としての子どもを描いています。
機嫌が悪いことが多いけど大好きな姉のあてねちゃん、なぜかいつも避けているクラスメイトの紗奈ちゃん、ふたりの女子に対する岬の感情が物語の主軸になっていきます。その背景には幼稚園時代の、当時好きだった魔法少女アニメの悪役「魔女ラグ」のキーホルダーをめぐる出来事があったようですが、語り手の岬はその詳細をなかなか語ろうとしません。それを引っ張るのは作劇の構成上の都合といってしまえばそれまでですが、ここでは語ること・語らないことという作品のテーマと結びつけているところが巧妙です。
ここで重要になってくるのが、岬と幼なじみの要の「契約」関係です。岬は親が経営しているスーパーマーケットから高めのアイスを失敬してきて要に与え、その代わり一方的に話を聞いてもらうという「契約」を結んでいました。話を聞く技能といえば、エンデの『モモ』が思い出されます。ただし、モモは童心が美化されたファンタジーの存在で、実際は人の話を聞き続けるのはかなりの苦行となります。このような過酷な感情労働にはそれにふさわしい対価が支払われるべきであるという方向に、世の中は進んでいます。
少々話が脱線してしまいましたが、このふたりの「契約」関係は興味深いです。要はかなりいい子なので、別にアイスなどあげなくても愚痴くらい聞いてくれそうです。でも、自分の思いを伝えることが苦手な岬は、それでは話をすることはできないのです。取引というドライな関係を介在させることでコミュニケーションを円滑にするという賢さは現代的です。
コミュニケーションという普遍的なテーマに独自の処理を施していて、姉妹愛の物語として美しい、なかなかの良作です。

*1:巻末に「オリンピックに関する内容は、執筆時のもので、実際とは異なります。」との注意書きがある。