『月と珊瑚』(上條さなえ)

月と珊瑚 (文学の扉)

月と珊瑚 (文学の扉)

沖縄で暮らす小6女子の物語。母親は福岡で働いているので、主人公の珊瑚はルリバーと呼ばれる民謡歌手をしている祖母と生活しています。ふたりの生活は楽ではなく、スマートフォンを買ってもらうこともできません。

「わたしは、六ねんせいになったので、べんきょうをがんばります。」

序章が衝撃的です。勉強の苦手な珊瑚は作文をけなされたことをきっかけに学力向上を図り、その手段として日記をつけ漢字を少しずつ覚えようとします。その日記がこの作品であるという設定になっています。その文章は上に引用したようなもの。自分の名前も漢字で書けないような珊瑚の低学力は、もちろん珊瑚個人の問題ではありません。
物語は珊瑚とふたりの転校生の関わりを中心に展開されます。ここでの転校生の役割は、格差の存在をはっきりさせるという残酷なものになっています。転校生のひとりは、頭がよくて政治家を目指しているが言動がずれている水原詩音。彼女が珊瑚の作文をばかにしたことが、珊瑚の変化のきっかけとなります。沖縄は学力テストの平均点が低く、子どもの貧困率も高いと、彼女は知識をひけらかします。
もうひとりの転校生は泉月(いずみ るな)。初対面で月のかっこよさに打ちのめされベルばらのオスカルのようだと思った珊瑚は、月と関わるたびにドキドキしてしまうようになります。
月が前に通っていた学校は超お嬢様学校で、まるでベルサイユ宮殿のような外見。そして月の住居も沖縄のセレブしか住むことができない高層マンション。珊瑚は格差を意識させられます。でも、珊瑚の窮状に的確に気配りをしてくれる月の態度はまさに庶民の味方のオスカルのようだと感じて、彼女への思いを募らせていきます。
オスカルがかっこいいのは当然ですが、一見悪役にみえる水原詩音の方も、なかなかおもしろい個性の持ち主です。彼女は思考がちょっとずれているので、自分の言葉が相手を傷つけるということに考えが及ばず、頻繁に悪意なく暴言を言ってしまう子になっています。ただし場合によっては彼女の空気の読めなさがいい方向に向かうこともあります。彼女が思いがけない理由から基地反対派にまわる展開には笑わされました。
また、沖縄のバカ男子たちも魅力的です。男子の最低限の目標は、成人式で暴れない大人になること。これもそういう方向に導かれてしまう構造的問題を考えれば笑えないのですが、彼個人の決意は尊いものです。
沖縄を舞台にした児童文学は必然的に社会派にならざるをえないという現状は、なんともやりきれません。ですが、この作品は子どもたちのたくましさと善良(?)さに救われています。