『紙の心』(エリーザ・プリチェッリ・グエッラ)

紙の心 (STAMP BOOKS)

紙の心 (STAMP BOOKS)

でも、幸せになれるんなら、わずかな犠牲じゃない?
(p162)

恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!
中島敦山月記』より)

多数の若者が生活している学校のような病院のような「研究所」と呼ばれる施設を舞台とする物語。ひとりの少年が、図書室の『プークが丘の妖精パック』にはさまれていたメモを発見します。それはある少女が書いたもので、ふたりはこの本の登場人物にちなんでダンとユーナと呼びあうようになり、本にメモをはさむかたちで文通を始めます。お互いの正体を知らないままふたりは恋心を募らせていきます。

本のデザインや設定から、ディストピア臭しか漂ってきません。若者たちはそれぞれ深刻な事情を抱えてこの「研究所」へやってきたようですが、なかなかその全容は明かされません。やがて、「研究所」の秘密をめぐる危険な冒険が開始されます。
ふたりのやっているとこは。紙を読むことです。お互いの容姿も知らないので、そのあたりは想像で補いながら読み進めていくことになります。これは、読者のしていることとよく似ています。書簡体小説の特性を利用して、読者を物語に参加させ没入感を高める工夫になっています。
紙のメッセージのやりとりをしていることから、ユーナは自分の心は紙でできているのだとたとえます。そもそも人の情念のこめられた文字が記された紙は、強力な呪物です。読者が手にしている本も、ダンとユーナの心のレプリカであるということになります。
人の心が紙であるとするならば、それはあまりに脆弱なものにみえます。やろうと思えば読者も、心のレプリカである本の紙を破いたり燃やしたりすることで、簡単にダンとユーナの心を破壊することができます。しかし、本当に紙の心はそんなにもろいものなのでしょうか。侮られた紙の心の意地が、この作品の読みどころになります。