『ココロ屋 つむぎのなやみ』(梨屋アリエ)

2011年に刊行されロングセラーになっている『ココロ屋』の続編が登場。このところちかこからいやがらせを受けているつむぎは、ひろきから車輪のついた扉の先にあってココロを入れ替えてくれるというココロ屋の存在を聞きます。扉を見つけココロ屋に入ったつむぎは、ちかこの意地悪に対抗するために『意地悪なココロ』*1を手に入れ、反撃を開始します。
「ココロ」というとらえどころのないものを取り出して客観的に観察できるようにしたことが、このシリーズの成果です。『空っぽなココロ』にナヤミノタネやシンパイノタネがくっついて育つ様子を観察させるなどして、ココロの特性をわかりやすく解き明かしていきます。ココロをもののように扱うことが、かえってそれを大切に慎重に取り扱うための知恵となっています。
『意地悪なココロ』に懲りたつむぎは、いまの自分にぴったりだと思われる『ダメなココロ』に取り替えます。この場面のギャグが天才的です。つむぎはしゃがみこんで「岩のポーズ」をとります。それが邪魔だからどくよう先生に指示されると、しゃがんだまま足を動かし横に移動します。それに対して「新種のカニかしら。」と言う先生のすっとぼけ方が笑えます。

『ダメなココロ』じゃダメだ。『ダメなココロ』に入れかえても、わたしはダメなんだ。

「そうじゃなくて、ダメな「ダメなココロ」みたいです。あれ? ダメな『ダメなココロ』って、ダメじゃないってことですか?」

つむぎはダメ思考のループに陥ってしまいます。自分という主体から客体としてココロを取り出しそれを向き合わせると、合わせ鏡のような目眩のする無限ループが生じます。
そもそも、『ココロ屋』の扉が出現する際には学校の廊下が無限に広がるという設定になっていました。そして、『ココロ屋』の主人のウツロイ博士も、「おじいさん」「まほうつかいのおばあさん」「ネコの顔」「マグロの顔」と、顔を無限に変化させています。このシリーズは、はじめから無限を意識していたのです。
ココロを客体化することでそれを大事にするための考え方を授けるという実用性が、『ココロ屋』の一番の美点です。さらに、無限に思いを馳せさせるというロマンも、大きな魅力になっています。

*1:『ココロ屋』には、『意地悪なココロ』を見つけたひろきが「意地悪なココロがほしい人なんて、いるんですか。」と尋ねる場面があります。9年先を見据えて布石を打っていた梨屋アリエの計画性には戦慄を禁じ得ません。