『エリーゼさんをさがして』(梨屋アリエ)

エリーゼさんをさがして

エリーゼさんをさがして

偶然自分が選んだことが多数派だったり少数派だったりすることは、正しいことでも、なにかに勝っていることでもないと思う。大勢と同じほうを選ばないのを負けって思うことは違うし、当然、少数派だからって偉いってことでもない。多くても少なくても、自分の選んだ自分にとって譲れないと思うことを続けているほうが、負けてないし諦めないってことだって思うんだ。(p137)

中学2年生の亜美は、これ以上続けても上達の見込みがないからと、ずっと通っていたピアノ教室を支配的な母親から無理矢理やめさせられます。一緒にピアノ教室に通っていた幼なじみの環奈ちゃんは、逆にピアノに専念するため、これまた一緒だった中学のソフトテニス部を退部します。そうなるとソフトテニス部の部員が奇数になって亜美が余ってしまうことになるので亜美もやめたいのですが、母親や顧問になかなか言い出せずうじうじしています。大きく環境が変わるなか、水野くんという男子と接近したり、傾斜のきつい橋でものを落として困っていたおばあさんエリーゼさんとの交流が生まれたり、デイサービスの伴奏ボランティアに参加するようになって同じボランティアのユーチューバーお姉さん(チャンネル登録者数3人)【ポーラC】と出会ったり、亜美の世界はだんだんと広がっていきます。
梨屋アリエは数え切れないほどの美点を持つ作家ですが、そのうちあまり語られていない長所として、男子を描くことがうまいというのが挙げられます。水野くんは架空の高級マンションの広告を描くという珍しい趣味(ご丁寧にそれっぽいマンションポエムまでつけている)を持っている変わった男子ですが、妙にぐいぐい来る水野くんに亜美はだんだん惹かれていきます。一般受けする王子様タイプではない男子を魅力的に描く技量は、ほかの作家にはなかなか真似ができません。亜美も水野くん同様かなりずれた子で、環奈ちゃんから教えられるまで自分が部内でずっと無視されていたことに全然気づかないような子でした。これも梨屋アリエらしいキャラクター造形です。
亜美と環奈ちゃんの幼なじみコンビもいい味を出しています。ツンツントゲトゲした態度で毒を吐きまくりながらも亜美との関係を切らない環奈ちゃんは、実は亜美の善良さを誰よりも理解しているのではないかと思われます。一方の亜美は「環奈ちゃんのことがずっと好きで、環奈ちゃんみたいになりたいなってずっと憧れてた」となんのてらいもなく好意を表明し、環奈ちゃんから直截に「キモっ!」と言われてしまいます。
環奈ちゃんは「わたしは、人間やめてわたしの奏でる音楽になりたい」と言い、亜美は「わたしは、「優しい手」になろう」「ピアノの音になりたい」と決意します。これは、人をやめたいという消極的な思いではないと理解すべきでしょう。音楽は人類の生み出した文化の極みですし、手は人が世界と関わるために必要なもっとも人間らしい器官です。つまりふたりは、より人間らしく人間を超えていこうという前向きな姿勢を示しているのです。
やがて亜美は、介護の仕事に興味を持つようになります。もし身近な子どもが介護の仕事に就きたいと言い出したら、どうアドバイスするでしょうか。わたしだったら、「ブラックだからやめておけ。いくらやりがいのある仕事でも自分の心身を壊してまでやることはない」と言うと思います。これが亜美のクソ母親の言うこととほとんど同じだったので、率直に反省してしまいました。亜美は母親に対し、こう反論します。

「制度とかそういうのは、法律をどうにかして、これからみんなで考えて新しい仕組みを作っていけばいいよ。だって、介護制度だって年金だって、バリアフリーにするのだって、そうやってみんなで作ったものなんでしょう」(p217)

まったくその通りで、人の作った制度は人の力で変えていけるはずなのです。やはり児童文学は、もっと理想を語るべきだと思わされました。