『あしたのことば』(森絵都)

あしたのことば

あしたのことば

  • 作者:森 絵都
  • 発売日: 2020/11/14
  • メディア: 単行本
森絵都の最新短編集。森絵都作家生活30周年記念作品でもあり、8作の短編にそれぞれ別のイラストレーターが挿絵を提供している豪華な本になっています。
各短編を貫くテーマは「ことば」で、人は言葉を使っていかに生きているのかということがわかりやすく説かれている、実用的かつ教育的な作品集です。
第2話「あの子がにがて」は、クラスで苦手な女子への愚痴を女子が犬にこぼすという形式の話です。女子は「馬があわへん」ということばを知ったことにより、馬が悪いんだからしゃあないと思うようになり、少しだけ気が楽になります。「あいてへの腹立ちを、むかしの日本人が、うまいこと馬や虫にすりかえようとしたのかもしれん、人類の英知やな」と、女子は非常にシニカルにことばの効用をみつめています。
第3話「富田さんへのメール」も、苦手意識を持っている女子への感情の物語です。ソフトバレーの大会でみんなの足を引っ張ったときに、「できる女子」であるクラス委員の富田さんから「死ね」と言われた美里は、富田さんにメールを送ることにします。ここで描かれているのも実用的なことばの効用で、言語化することで状況や感情を整理することができるというものです。ただし、言語化することは物語化することにもつながります。美里の分析は、富田さんの行動を善意に解釈しすぎで自分に都合のいい物語に流れようとするきらいがあります。が、言語化してそれを届けようとしたことが第一歩であることに間違いはありません。
全8作のなかでも出色なのは第7話の「風と雨」です。女子グループ分裂のあおりでひとりになっていた風香は、学校でほとんどしゃべらない瑠雨ちゃんに一方的に話しかけていました。グループのこと以外にも風香には悩みがありました。それは、おじいちゃんのターちゃんが謡曲にはまっていて、公害レベルの音で家族を苦しめていること。風香は瑠雨ちゃんを家に連れこんでもっと仲良くなり、ついでにターちゃんの謡曲を瑠雨ちゃんに聴かせてそれを否定させ才能がないことを自覚させようという、一石二鳥の作戦を立てます。
風香は、瑠雨ちゃんの顔が大好きです。いつも瑠雨ちゃんの長いまつげを凝視していて、その美しさを「かんぺきなお人形みたい」だと形容したります。風香は視覚優位の世界で生きています。しかし、語り手が風香から瑠雨ちゃんに交代すると、世界は一変します。瑠雨ちゃんは、聴覚の世界のあざやかさとともに生きています。ここで音・歌・ことばは道具の役割を超え、芸術の領域に達します。
森絵都らしい比喩表現が荒ぶっているところも、この作品の魅力です。集団から外れたのどかで平和な孤独を、風香パートではドッジボールのコートの外側とたとえ、瑠雨パートでは大なわとびのなわの外側としています。この微妙なニュアンスの違いをすくいとれるのは、さすが森絵都のセンスです。
もっともおもしろかった比喩は、ターちゃんの謡曲です。落語の『寝床』のようなシチュエーションなので、うずまく騒音をどう表現するかが腕の見せどころとなります。森絵都の出した回答はこう。

まるでターちゃんのなかにものすごく声のでかい何者かがいて、その何者かのなかにも声のでかい何者かがいて――と、「うたうマトリョーシカ地獄」を想像しちゃうほど。

そうそう、森絵都ってこういうの。『永遠の出口』以降すっかり児童文学の世界から離れてしまった森絵都ですが、たまに帰ってくるとちゃんと期待通りの作品を出してくるんだから憎ったらしいですね。