『ポシーとポパー ふたりは探偵 魔界からの挑戦』(オカザキヨシヒサ)

岡崎祥久がなぜか筆名をカタカナ表記にして久しぶりに児童文学界に登場。作品の内容に入る前に、少し20年ほど前の児童文学シーンを確認してみたいと思います。
20年ほど前に、児童文学と純文学を接続しようという動きがありました。その中心になったのが理論社*1で、当時新進気鋭だった作家を積極的に招聘していました。代表例は角田光代『キッドナップ・ツアー』(1998)伊藤たかみ『ミカ!』(1999)『ミカ×ミカ!』(2002)藤野千夜『ルート225』(2002)などです。その流れのなかで岡崎祥久理論社から2002年に『バンビーノ』、2005年に『独学魔法ノート』を発表しました。ということで岡崎祥久は、理論社でしか児童文学を出さない純文学作家の古株という、かなり特異な地位を手にしたことになります。
さがしものが得意な姉のポシーとなぞなぞが好きな弟のポパーは、本屋の2階に住んでいます。特技をいかしてふたりでさがしもの探偵を営んでいましたが、なんと魔界の第73番目の王子という大物の悪魔が依頼人としてやってきました。同時に養父が悪魔と魂をかけたチェスの百番勝負を始め、それが終わるまでに仕事を終えなければならないという時間制限まで発生してしまいます。
正直なところ『バンビーノ』や『独学魔法ノート』は難解でわたしの手には負えなかったのですが、この作品には悪魔との知恵比べというはっきりした軸があるので、比較的条理の世界にとどまっていて理解しやすかったです。しかし問題は、なぞなぞという弟の趣味です。なぞなぞとは言葉や意味を攪乱させるものです。なぞなぞと同様、作中には言葉が意味をなさなくなる場面が頻出します。たとえば、課題のさがしものである「黒のキング」がなまがわきの血のような茶色であったこと、悪魔の名前が時間がたつごとにどんどん生成され増えていくので名前を呼ぶという機能を果たせなくなることなど。やはり岡崎作品は条理から外れていきます。
不条理性以外にも、童話的な魅力がたくさんあります。姉のまぶたが様々な色に変化するところとか、身の丈に合わない空っぽのポシェットをいつも持っているところとか、童話のツボをツボをおさえている感じがします。一番美しいのは、姉が太陽の反対側にある天体を見ることができるという設定です。児童文学で見えないものが見えてしまう子は闇や夜の世界に魅入られてしまう傾向がありますが、陽光の向こう側を指向するというのは珍しいです。

*1:河出書房新社が1997年に創刊した叢書「ものがたりうむ」もこの流れのなかで重要な役割を果たしていました。この時代からもう20年もたっているので、この時代の試みのまとまった検証や再評価がほしいところです。