『ストーリーで楽しむ日本の古典 枕草子 千年むかしのきらきら宮中ライフ』(令丈ヒロ子)

令丈ヒロ子翻案の『枕草子』。「はじめに」で翻案者が『枕草子』の概略を解説し、その後に清少納言が宮中の出来事を昔語りするという構成になっています。
この清少納言は現代を生きていて、自分のやったことは現代では全く珍しくないと謙遜します。この存在は清少納言の霊なのか、もしくはミームとしての清少納言と理解すべきなのかもしれません。
現代の知識を持った清少納言が時系列で語っていくので、はじめて『枕草子』に触れる読者にもわかりやすくなっています。オタク女子の清少納言がこの世のものとは思えない高貴な定子様にまんまと手なずけられる導入部も親しみやすく、すんなり物語の世界に入っていけます。
日本百合文学の始祖の清少納言と現代百合児童文学の第一人者の令丈ヒロ子のコラボなので、そちらも気になるところです。この方面でもっとも注目すべきは、「殿などのおはしまさで後」の段です。道長派であるという風評を流され引きこもっていた清少納言に、定子様がやまぶき(くちなし)の花びらと「言はで思うぞ」という言葉を贈ったというあのエピソードです。ここの「言はで思うぞ」は、くちなしのように語らずとも定子様が清少納言を思っているとするのが素直な解釈です*1。しかし、この作中の清少納言はこのように解釈しました。

(定子様。口なしって人に言われてもしかたないほど、何も言わないわたしが、だまっていても、ずっとずっと強く定子様のことを思っているのを、わかってくださっているんだわ)
(p111)

つまり、思っているのは定子様ではなく清少納言で、清少納言の思いを定子様はよく理解していたという解釈になっているのです。こちらの解釈の方がより清少納言が定子様に精神的に支配されている感が強まって、重くなっています*2清少納言は紙をもらったことも、定子様がはじめから宮中の生活を書き残してほしいと意図してのものであると推察しています。令丈翻案では清少納言と定子様の思いのかさなりあいが重視されています。

*1:定子様ではなく清少納言の方が「くちなし」であるという解釈もあるが、その場合清少納言の沈黙を定子様がなじっているニュアンスになるので、あまりこっちの解釈はとりたくありません。

*2:ただし、やまぶきを「くちなし」とせず、「わがやどの八重山吹は一重だに散り残らなん春のかたみに」からとったものであり、中関白家が没落し人々が去るなかで清少納言にだけは残ってもらいたいという定子様の思いが託されていたという『古典体系』の説も有力視されています。定子様の感情が重いこちらの解釈も好きです。この読みについてはこの本で、百合の限界オタクじゃないかと思えるような論が展開されています。