『ワタシゴト』(中澤晶子)

ワタシゴト 14歳のひろしま

ワタシゴト 14歳のひろしま

  • 作者:中澤晶子
  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: 単行本

ワタシゴト
渡し事(わたしごと)=記憶を手渡すこと
私事(わたくしごと)=他人のことではない、私のこと
(カバー袖より)

修学旅行で広島の原爆資料館を訪れた中学生たちを主人公とする連作短編集。中学生たちはそれぞれテーマを決めて綿密に事前学習をしており、展示されている弁当箱やワンピースなどに並々ならぬ思い入れを抱いて修学旅行に臨んでいました。
作品の意図は、カバー袖にあるとおりです。戦争を天下国家のこととして捉えるのではなく、ものを媒介として現代の私事と過去の私事をつなぐという試みがなされています。これを成功させるためには私事を描ききる小説としての強度が求められますが、異色作家として児童文学界で独自の地位を築いている中澤晶子はみごとにその難業を成し遂げています。たとえば、ほぼ育児放棄をしている母親が気まぐれで作った弁当にムカついて弁当箱をテーブルからたたき落とした男子が、原爆で真っ黒に焼けた弁当と対峙する私事と私事の偶然の邂逅など、えもいわれぬ迫力があります。
なかでも特異な短編が、第4話の「いし」です。岩石が好きな和貴は、爆熱による石や瓦の変化に興味を持って熱心に事前学習に取り組んでいました。以前河原で焼けた瓦が発見されたことを知った和貴は、周りの迷惑も顧みず先生や他の生徒も巻きこんで瓦を探そうとします。
このエピソードを、人を悼むことよりも学術的探究を優先させる人でなしを描いたものと捉えるのかどうか、難しいところです。「あんた、石や瓦のことしか言わないの?」「あの熱で、ひとも焼かれたのよ、わかってる?」と問い詰める女子に対して、和貴は「わかっています」と一言答え、そこで物語は閉じられます。和貴の「わかっています」をどう解釈するのか、ここでは読者自身がなにをどの程度「わかってる」のかも問われているように思われます。