『オン・ザ・カム・アップ  いま、這いあがるとき』(アンジー・トーマス)

白人警官が黒人に暴行をはたらき、その動画が拡散され公正を求める声が巻き起こる、こんな展開を我々は、現実でもフィクションのなかでも何度も目にしました。ただし、受け手の理解が浅い場合、これは単純な正義と悪の戦いとして娯楽のように消費されるおそれがあります*1。この作品は、そんな浅薄な理解を許さない複雑さを描いています。
主人公のブリは、若くしてギャングに殺された伝説のラッパーを父に持つ高校生。自身もラッパーとして成り上がろうと活動しています。ブリの通う学校は多様な生徒を受け入れることを売りにしていましたが、それは補助金目当てで、実際は黒人やラテン系の生徒を金づるだが厄介者だと見做していて差別的に扱っていました。ブリも白人の警備員から暴行を受けます。
ブリの仲間は、暴行現場の動画を公開することで抵抗運動を広げようと提案します。しかしブリは、イメージキャラクターにはなりたくないと拒否します。一方、ブリを芸能界にいざなおうとする人々は、粗暴な黒人というキャラづけで売り出そうと、ひどい歌詞のラップを披露するように強要します。ブリが戦っているのは、それが善意から出たものであれ悪意から出たものであれ、個人を記号にしようという動きです。
作中では様々な要素が錯綜しています。貧困・薬物依存・暴力、ブリの友人には当たり前のようにゲイの子もいます。少し要素を刈りこんでもいいのではと思われるほどですが、これらすべては現実の複雑さを描ききるために必要不可欠なものになっています。そしてその複雑さのなかからサイドストーリーとして、ブリのロールモデルとなる戦う女性たちの姿が浮かび上がってきます。
ひとりは、ブリの叔母のプーおばさん。ブリのマネージャー役をしていて、ブリとはとても親しくしています、しかし一方で薬物の売人の顔も持っています。ブリの母には薬物依存歴があるのになぜこんな仕事をしているのか、ブリはこの点に関しては叔母に不信感を抱いています。あえて暗い世界に身を置き犯罪に手を染めながらも信念を貫き通す彼女には、いぶし銀のヒーロー性があります。
ブリの母親のジェイも、戦う女性です。シングルマザーであることや薬物依存歴があることなど差別の口実にされる要素を何重にも抱えている彼女の生活は、家族とともに生き延びるだけでも過酷な戦いです。そんななかで誇りを失わず生きる彼女の強さには、感服させられます。
プーおばさん・ジェイ、そしてブリ。過酷な現実と戦う女性たちの姿を描いたことが、この作品の大きな成果です。

*1:これはあくまで受け手の側の問題であって、『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』『キャラメル色のわたし』『オール・アメリカン・ボーイズ』のような人種差別をテーマにした近年の翻訳児童文学・YAはそれぞれ考えこまれてつくられた作品であったということは付け加えておきます。