『チェリー・シュリンプ』(ファン・ヨンミ)

チェリーシュリンプ わたしは、わたし

チェリーシュリンプ わたしは、わたし

韓国の児童文学。ダヒョンはクラス替え時の席替えで最悪の席を引いてしまったため、落ちこんでいました。周囲にあまり打ち解けようとしないウンユの隣になってしまったのです。ダヒョンはウンユに憎しみを向けつつ、今後の学校生活を憂えます。
ダヒョンがウンユを憎む理由は、なかなかみえてきません。そして、その理由が判明すると、この作品の鬱の方向性がわかってきます。ウンユは、ダヒョンの所属する仲良しグループで嫌われていたというだけで、ダヒョン個人にはまったく憎む理由がなかったのです。しかし、ウンユと親しげなそぶりみせると、ダヒョンのグループ内の立場が悪くなってしまいます。こういうたちの悪いの同調圧力のあり方、われわれのよく知っているやつによく似ています。
案の定、ダヒョンとウンユはグループ学習で同じ班になってしまい、行動を同じくする機会が増えてしまいます。ダヒョンは元々自己主張が強く知識をひけらかす傾向のある子で、そのため痛い目をみていまでは自分を隠すようになっていました。しかしその班は向学心の強いメンバーがそろっていて、ダヒョンはありのままの自分を出せるようになり、ウンユともだんだん親しくなっていきます。
人が自分らしく生きていけるかどうかは、所属する集団の質に左右されます。足を引っ張り合うグループよりお互いを高めあうグループの方が、ダヒョンにとっては居心地のいいものでした。しかし、所属するグループは自分で選べるものではなく、偶然性に左右されがちなものであることが、世のままならないところです。ダヒョンはたまたまグループ学習という強制された集団が水に合っていましたが、それは偶然でしかないのが難しいところです。
本の学校の地獄感と似ているところが多いので、日本でも共感を呼びそうです。