『スーパー・ノヴァ』(ニコール・パンティルイーキス)

スーパー・ノヴァ

スーパー・ノヴァ

ノヴァは「読めず、話せず、重い知恵遅れ」だと大人たちから思われている女子。姉のブリジットだけがノヴァに知性があることを理解していて、ノヴァの大好きな宇宙の話などを聞かせてくれていました。しかしノヴァとブリジットは里親の元を転々とする安定しない生活を余儀なくされていました。そして、ふたりが楽しみにしていたチャレンジャーの打ち上げを前にして、ブリジットはいなくなってしまいます。
作品の舞台は1986年。現在の読者は、チャレンジャーの打ち上げは悲劇で終わったことを知った状態で作品を読むことになります。皮肉なことに、最愛の姉がいなくなったあとノヴァの境遇はだいぶ良好になりました。里親にも理解があり、当時としては良心的だったと思われる特別支援教育を受けられるようになります。でも、ブリジットのいない状況ではノヴァが自分の知性を周囲に証明するのは困難です。強烈なもどかしさにさいなまれながらも着実に前進するノヴァの姿は、読者の心を揺さぶります。
当事者でもある作者による解説では、自閉症に対する理解や支援の変化が紹介されています。テクノロジーの進歩によって自閉症者のコミュニケーション手段が増えるさまは、1986年の視点からみればSF的なまでに思えるのではないでしょうか。
ただし、ノヴァにだけ目を向けていたら、この作品の半面しかみていないことになります。以下、もうひとりの主人公ブリジットについて言及します。彼女の件は作中で最後まで引っぱられる謎になっていてミスリードを仕掛けていると思われる箇所もあったので、未読の方は自己判断で読んでください。












はい、わたしはミスリードに引っかかってブリジットはイマジナリー姉だと思っていましたよ。それだけに、彼女のあまりにも凡庸な悲劇には胸を突かれました。ハイパー優等生女子がつまらない男に引っかかって堕落するというあまりにもありふれた結末。いや、深刻な障害を持つ妹を支えながら優等生を演じるという荷の重すぎる仮面を外せたことは、彼女にとって救いだったととらえるべきなのかもしれません。どちらにせよ、結末の凡庸さこそが作品に説得力と迫力を与えていることは間違いありません。
この作品のもうひとつの側面は、日本の児童文学でも流行の素材になりつつあるヤングケアラーの問題です。ノヴァがはじめから物語開始時点の環境にあればブリジットはここまで苦労することなくあんな結末を迎えずにすんだのかもしれないと考えると、なんともやりきれません。