『晴れた日は図書館へいこう 夢のかたち』(緑川聖司)

角野栄子の「魔女の宅急便」シリーズや斉藤洋の「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズなどのように、忘れたころに新刊が出るゆったりペースが許容されるところが児童文学の世界の美点のひとつです。でもこの「晴れた日は図書館へいこう」シリーズのように、21世紀デビューの作家のシリーズがこのような売り方を許されるケースは稀です。シリーズ1巻は小峰書房から2003年刊行、2巻は2010年。その後2013年に1,2巻がポプラ文庫ピュアフルで刊行され、ポプラ文庫ピュアフルが路線変更して児童文学寄りの作品は出にくくなったこともものともせず、新作3巻はポプラ文庫ピュアフルから刊行されました。このことも異例の扱いであるように思えます。
そもそも緑川聖司のデビューは図書館を舞台にした日常の謎ミステリである『晴れた日は図書館へいこう』だったので、当初はミステリ作家として期待されていました。しかし現在では、ポプラポケット文庫の「本の怪談」シリーズを代表作とするホラーの第一人者としての地位を確立しています。とはいえ、この作家の本質を理解するためには、やはりデビュー作シリーズを参照する必要があります、

「読み聞かせは読む人だけではできないでしょ? 聞く人がいて、はじめて読み聞かせになるんだから、それが上手に成功していたのなら、それは聞く人のおかげでのあるのよ」

3巻では、読み聞かせについてこのような思想が語られます。ここにあるのは、発信者と受け手の相互作用が重要であるという思想です。「本の怪談」シリーズにおいても、奇妙な本とその読者の相互作用、怪異と被害者の相互作用によって物語が展開されます。そしてシリーズ最終巻『伝染する怪談 みんなの本』では、その相互作用が極限まで高まってある意味で究極の愛を実現するという、感動的なフィナーレをみせてくれました。これは、物語(怪談)と本を深く愛する緑川聖司ならではの思想です。この思想が緑川作品を読み解くうえで重要な鍵になりそうです。

わたしは怪談こそ、この世のすべてだと思うの。
怪談には恐怖があり、感動があり、生と死がある。
しかも、それを大人にも子どもにも伝えることができるのよ。
(『伝染する怪談 みんなの本』より)

緑川聖司は児童文庫のホラーを主戦場とし、賞レースとは無縁で児童文学の脇道を歩んでいます。一方で、デビュー作シリーズの「晴れた日は図書館へいこう」は、往年の名作児童文学のような愛され方をしています。非常に珍しい立ち位置にいる作家なので、もっと語られるべきだと思います。