『はなの街オペラ』(森川成美)

大正時代、栃木から東京の音楽家の屋敷に奉公に出たはなは、そこで書生をしていた美青年響之介に導かれるように芝居の世界に入っていきます。
エンタメとしての出来は満点です。なにも持たない若者が芝居の世界に入るきっかけがああいうのであるというのもお約束通りですし、自由人の響之介と郷里の親友の兄である真面目タイプの青年、ふたりのイケメンを配置しているのもお得感があります。ストーリーの流れは読者の予想を超えません。それはつまり、期待を裏切らないということです。大正を舞台とした物語ではおなじみの破局に向かって、物語は疾走します。

「どんなつらいことがあっても、それを忘れられる。たとえ一瞬の夢であっても、そういうのってだいじじゃないのか?」
(p214)

この物語の素晴らしさは、芸術・文化の価値を称揚している点にあります。いまよりも貧富の差が激しく性差別も苛烈だった時代、戦争も暗い影を落とす時代、そんな時代にあっても一瞬の夢があれば生きていける、一瞬の夢がなければ生きていけないという真実を激情たっぷりに描き出しています。
タイトルは「街オペラ」、すなわちこれは市街劇です。誰もが絶望に打ちひしがれる破局において、虚構で現実を塗り替えるという芸術の底力をみせつけてくれます。
しかし、わけもなく芸術・文化を圧殺しようとする憲兵のようなやからは、いつの時代もしつこくわいて出るものです。現在もその勢力がのさばっているところですから、いま読まれるべき作品といえます。
この作品の主題のひとつは、芸術・文化の力。もうひとつ大きな主題として、フェミニズムがあるはずです。オペラの演目と作中人物の生き方の対比により、女性の自由な生き方を模索しています。
ただし、その視点でみた場合、最後の主人公のピンチの切り抜け方には疑問が拭えません。この作品の美点は枯れたエンタメとしての質の高さですが、その手法を使うべきでないところで安易に使っているため、作品の意図とは正反対のメッセージを発しているかのように読まれる危険性があります。そこが非常にもったいなかったです。