『ドリーム77』(金重剛二)

1969年理論社刊。導入部のイラストがよいです。大きな木の根元にトンネル状の穴が空いていてそこを機関車が通ってるという、別世界の入り口としてとても魅力的なものになっています。光一くんはおかあさんと博物館から抜け出してきたようなこの古い機関車に乗っていましたが、光一くんと目の前に座っていたおじいさんを除いたすべての乗客は眠りこけてしまいます。おじいさんは光一くんを外に連れ出し、糸を上空に放り投げてそれをつたって雲の世界に上るように促します。古い機関車からインド大魔術めいた不思議現象、子どもを別世界にいざなう手つきが非常に手慣れた感じがします。
さて、雲の上の世界で光一くんは、羽の生えた服を着て夜の世界を飛び回り人々に夢を配る役割を与えられます。空を飛ぶときの気持ちは、「あたたかい春の日に、チョウになって菜の花から菜の花へ、ゆっくりととびまわるような」と表現されています。素朴な表現ですが、子どもの生活実感にあっていて、童話の表現としては最適です。
ところが、光一くんがはじめに配ったゆめはひどく血みどろでした。妻とふたりの子どもを恐竜に食べられてしまった父親が苦労の末に恐竜を倒したものの、家族を救出するために恐竜の体をのこぎりで切ったら家族も一緒にまっぷたつという。これは、この家族は翌日交通事故に遭う運命だったので、警告のために夢で予言したのだといいます。やがて、どうも雲の上の住人は光一くん以外死者ばかりなのではということも明らかになってきます。雲の上の夢幻の世界はあまりにも陰惨でした。
タイトルのドリーム77とは、雲の上のおじいさんとそっくりな大学の先生が開発した、ゆめをつくる薬の名前です。ゆめを神聖なものと考える光一くんはこの薬の販売に反対します。このあたりの理屈はよくわからないのですが、とえりあえず作中倫理ではこの薬は悪ということになっています。しかし先生は私利私欲のために薬を売ろうとしているのではありません。大学の研究費が少ないため先生のライフワークである精神障害者を救う仕事ができなくなるので、資金調達のためにしているのです。ここで作品は、国が大学に金を出し惜しみする問題と戦うという社会派の様相も呈してきます。光一くんは大臣に請願に行きますが、こいつらじゃ話にならんと早々に見切りをつけ、草の根的な反対運動に切り替えます。このあたりは時代の空気なのでしょうか。しかし、この時代より現代の方が大学が窮乏させられていることを考えると、絶望的な気分になります。
ということで、猟奇的な幻想と社会派が両立した奇妙な作品になっています。幻想と社会派の熱が調和し、感傷的なラストがよい読後感を残してくれます。