『時間色のリリィ』(朱川湊人)

小学5年生のロミの前に、同じ塾に通っている園内くんがおでこにシールを貼ったオチャメスタイルで現れ、「『ミコミコぷろだくしょん』って、知らない?」と意味不明な質問をしてきました。どうやら園内くんは、公園にいた昭和語を操るコスプレ少女(?)に命令されて行動している様子。少女は「大魔法使いリリィ」と名乗り魔法が使えるとのたまいますが、すぐには信じられません。しかしリリィは貼った相手とすぐ友だちになれるシールとか無限に五百円札五百円札!)を出せる財布といった魔法アイテムを使って、自分の力を証明します。なんやかんやあってロミとロミの一番の親友のミューちゃんと園内くんの3人はリリィの『ミコミコぷろだくしょん』探しを手伝うようになりますが、リリィはいつの間にか闇落ちし「くらやみリリィ」化して、リリィとも戦わなければならなくなります。
朱川湊人といえばノスタルジーとホラーです。児童文学にノスタルジーが導入されると、子どもを置き去りにして大人の思い入れだけを開陳する駄作になるケースが散見されます。信じがたいことですが、21世紀になっても原っぱ史観とかガキ大将幻想を子どもに押しつけようとする作品は絶滅していません。
ただし、朱川湊人はきちんとした娯楽小説の書き手なので、そういう心配は不要です。ノスタルジーとは、過去を美化した虚構です。それを子どもに押しつけるのは有害です。しかし、ノスタルジーのもとになるのがそもそも虚構であれば話は違ってきます。たとえばテレビの特撮や魔法少女アニメをもとにしたノスタルジーは、虚構に虚構を重ねたいわば純虚構となります。この純然たる虚構は、世代が異なっていても興趣を感じさせるものになります。この作品の構図を単純化すると、旧世代の純虚構と新世代の現実の対立・あるいは融和ということになります。
「くらやみリリィ」の魔法は、かなり怖いです。しかし、キャラクターのゆるさや小道具のゆるさにより、怖さシリアスさは十分に確保しながら同時に気を抜くバランスがすばらしいです。「くらやみリリィ」の凶悪魔法をたとえるなら、『おそ松くん』のインベーダーであり、三田村信行のもっとも有名な短編集に収録されている某作に近いものです。そして作中の空気も、昭和ギャグまんがのものと不条理児童文学のものを両立させているのです。
これはまさに朱川湊人にしか書けない児童文学で、一読の価値はあります。