XR935は規則に従い、少女エマを消去しようとします。しかし、「そんなにりっぱな社会なら、どうして小さい女の子ひとりにおびえるの」というエマの問いかけにフリーズし、「人間の子どもが脅威でないならロボットは人間よりすぐれている」というロジックを組み立て、エマの消去を思いとどまります。エマに論破されたというより、XR935の方で勝手に屁理屈をこね上げて自滅しているのがおもしろいです。
旅の仲間には、さらに2体のロボットが加わります。このロボット三人組がそれぞれ気がよく好感度の高いやつらなので、読者は楽しい気分で彼らの旅に同行できます。言語ではなくモニターに映った絵で会話するSkD、人間のジョークを好む大型ロボットのシーロン、この三人組は生まれたときからソーラーパネルのすえつけという同じ仕事をしていて長い時間を共に過ごしてお互いのことを知り尽くしているのに、あくまでただの同僚であって友だちではないということになっています。
4人の旅の要素の一部を抜き出してみましょう。リンゴを食べる、衣服を得る、同じ言語を使えなくなる*1、死んで復活する。人類とそれに並び立つ知性が共生の道を探るときに、創世神話の生き直しが必要になるという想像力のあり方が興味深いです。
愉快な仲間と波瀾万丈の冒険というエンタメの基本がおさえられていて、SFとしてもさまざまな要素がちりばめられた楽しい作品でした。SFの入門としては申し分のない作品です。さすがハヤカワの選書は信頼できます。
*1:エマとロボットたちは同じ言葉を使っていますが、言語コミュニケーションのバグであり妙味でもあるダジャレや言葉遊びをXR935のみ理解できないことからこじつけています。