『フレディ・イェイツのとんでもなくキセキ的な冒険』(ジェニー・ピアソン)

フレディとベンとチャーリーの3人組は、あまり楽しくない夏休みを迎えようとしていました。フレディはおばあと家でゴロゴロするだけ、ベンは宝くじを当てた父親に金目当てで近づいた新しい母親とディズニーランドに行くのが嫌でたまらなくて、チャーリーは地獄のヴィーガンキャンプに連行されようとしていました。ところがフレディのおばあが亡くなってしまい予定が変わります。フレディの母はすでに亡くなっていて、おばあは母の母、フレディは母の連れ子だったのでいまの父親とは血がつながっていません。フレディは血縁者をみんな失ってしまいます。おばあの遺言状にはフレディの血縁上の父の情報が書かれていました。フレディはベンとチャーリーとともに家出をし、血縁上の父親を捜す旅に出ます。
まずこの作品の特長として触れておきたいのは、章タイトルについてです。『ガリバー旅行記』や『十五少年漂流記』などの古典冒険小説風の、章で起こる出来事を具体的に記述する長い章タイトルが採用されています。それも、読者に語りかけるような口語調のものになっているので、読者の期待感をいい具合に煽ってくれます。
3人組は、あまりお行儀のいいタイプの子ではありません。担任に「クラスのだれひとりしめ殺すことなく学年末をむかえられたらキセキだ」と言われるくらいの悪ガキどもです。口も悪く、〈うえ死にキャンプ〉や〈ヴィーガンザらス〉などとバラエティ豊かにヴィーガンキャンプを罵ったりします。家族を亡くして傷心の父親にベンとチャーリーがかけた言葉は「おじさん、このたびは死んだかのじょのお母さんがなくなり、ごしゅうしょうさまでした」とかなりひどいものでしたが、悪気はありません。
そんな彼らですから、冒険の旅もお行儀よくというわけにはいきません。資金稼ぎのために大食い競争に出るのはまあいいとして、盗品に手を出したり、服がなくなったらかかしのコスチュームを失敬してスーパーガールとバットマンスパイダーマンに変身したりと、犯罪行為にも手を染めてしまいます。
しかし、彼らの行動はなぜかいい方向に誤解されます。軽い気持ちでした善行が実際以上の英雄的行動と見做されたり、ちょっとした汚いおみやげが宗教的奇跡のようなものを生み出したりと、思いがけない展開になります。それが彼らに世界の見え方はひとつではないということを学習させ、結論が青い鳥めいたものになると考えると、見た目のお行儀の悪さとは正反対の教育的な作品であるようにも思えます。