『体育がある』(村中李衣)

もちろんこの作品は、このタイトルを絶望と同義と受けとめる読者のために書かれています。4年生の亀山あこは、勉強はかなりできるけど体育だけが苦手。しかし容赦なくとび箱・鉄棒・遠泳と次々と地獄が襲いかかってきます。
とび箱に向かうまでの客観的には短い時間のなかで、高速で回転するあこの思考を濃密に描く手つきがうまいです。たった1,2秒で体の動きを考え、恐怖心に襲われ、とび箱に挑発されているような妄想、みんなに笑われているのではないかという被害妄想にまでさいなまれます。圧縮された負の感情の真に迫るリアリティは尋常ではありません。
こうした被害妄想に襲われるのは、あこの個人的な資質の問題ではありません。できない子をさらし者にして恥をかかせる体育の授業のあり方に問題はあります。また、あこの場合は正論ばかり言って追い詰めてくる母親の期待という負担も抱えていました。

「子どもは、やさしい。どんな親でも、必死についてきてくれる。そのことにあまえたらだめだ。」

重たい題材ですが、きついところはきつく、ゆるめるところはゆるめて息継ぎをさせてくれる、村中李衣の熟練の技が冴えています。また、すべてのページに配置されている長野ヒデ子のイラストも、ベテランの技を見せつけてくれます。猛獣や怪鳥に変身する母親などをユーモラスに描き、作品世界を穏やかにしてくれています。