『文豪中学生日記』(小手鞠るい)

文芸部に所属する中2女子春希は、土佐日記のマネをして男子のふりをして日記を書くことにします。綴られるのは、日々の雑感や詩など。身に覚えのある読者は、自分の黒歴史ノートをさらしものにされているような気分で身もだえしながらこの本を読むことになるでしょう。やがて春希がネット上で発表した詩が炎上し、落ちこんで学校にも行けなくなってしまうというのが物語のひとつの軸になります。
もちろんこの作品はメタフィクションなので、作中の記述をそのまま素直に信じることはできません。作中の文芸部員たちは『走れメロス』を論じて、薄い道徳訓話の裏にある太宰のお道化や含羞や韜晦までも読み取ります。『文豪中学生日記』にも、そのレベルの読みが求められるのです。
作中に登場する作家は、以下のようなことをのたまいます。

「わたしは、人には不倫をすすめたりはしないけど、小説に書くなら、不倫ほどおもしろいものはないと思っているの。だって、幸せな恋愛なんて、いったい誰が読むの? ハッピーな恋愛小説なんて、そんなもの、退屈でたまらないわよ。」

フィクションのなかでは現実では許されない不道徳なことをいくらでも楽しんでいいし、作家は自分が思ってもいないことを作中に書くことができます。当たり前といえば当たり前のことですが、このような趣向の作品のなかであえてこれを語ってしまうのは意味ありげです。こんなものを読まされてしまうと、『文豪中学生日記』だけでなく過去の小手鞠作品にもどんどん疑惑が膨らんできます。
たとえば小手鞠るいには、空気の閉塞した日本とは違う楽園が海外にあるかのように語る出羽守的なふるまいをする癖があります。今年刊行された作品だけでも、『文豪中学生日記』『サステナブル・ビーチ』『庭』に多かれ少なかれその要素がみられます。しかし作中の作家の小手鞠るい自身が自己言及しているかのような発言をみると、実は小手鞠るいは本気でこれを信じていないのではないかという疑惑が浮上してきます。
小手鞠るいのプロフィールやエッセイでは、「小説家としては遅咲きだったけど、海外の森のなかで暮らしているちょっと浮世離れした人」というイメージが演出されています。はたしてこの「小手鞠るい」は実在するのか、そんな疑問さえ生じてしまいます。
小手鞠るい」について議論する際、必ず参照しなければならない作品と位置づけられそうです。