『スペシャルQトなぼくら』(如月かずさ)

『カエルの歌姫』(2011・講談社)や『シンデレラウミウシの彼女』(2013年・講談社)など、「L」「G」「B」「T」と簡単にラベリングできないセクマイを描いてきた如月かずさは、10年代のこの分野の児童文学ではトップランナーであったと断言しても異論はなかなか出ないでしょう。戸森しるこや村上雅郁、あるいは七都にいといった新世代の書き手が台頭するなかで、久しぶりにこのテーマに挑んだ如月かずさが存在感を示すことができるのか、注目されます。
中学2年のナオは、あまり接点のなかった優等生のユエが女の子のようなキュートな格好で出歩いている現場を目撃します。かわいくなったユエの姿を見てうらやましさを感じたナオは、ユエの手ほどきで自分もキュートな格好をします。やがて、ナオはユエにある感情を抱くようになります。
日本の児童文学でも、「L」「G」「B」「T」を取り扱った作品は蓄積しつつあります。しかし、「Q」「A」というわかりにくいセクマイをテーマにしたのは、やはり如月かずさの慧眼です。しかし、これは『スペシャルQトなぼくら』で急に始まったわけではありません。『カエルの歌姫』の両声類の主人公や、『シンデレラウミウシの彼女』のずっと一緒にいたいと願っている同性を超常現象で異性にしてしまった主人公の性指向・性自認は、「L」「G」「B」「T」ではラベリングできません。
作品で描かれるのは、自分の好きなファッションをすることの楽しさ、自分を解放することの楽しさです。そして、ナオやユエは自分たちの本質をオープンにすることはなく、外界からの弾圧はほぼ描かれません。あくまで主軸は、自分らしさの追求とふたりの関係性です。
社会正義の観点からいえば、差別と対峙すべきなのかもしれません。作中では触れられていませんが、ふたりが個人の選択として一生秘密をクローゼットに隠しておくつもりなのであれば、それは尊重されるべきでしょう。あえて差別との戦いを主題に置かなかったことは、如月ならではの配慮なのではないかと思われます。
如月作品は初期から、恋愛の加害性という問題にも踏みこんできました。たとえば講談社児童文学新人賞佳作受賞作の『サナギの見る夢』の特にモテないわけではない主人公がバレンタインを憎んでいたのは、人を選別し分断する恋愛の加害性に気づいていたからでしょう。また、超常現象により好きな相手の性別を変えてしまった『シンデレラウミウシの彼女』は、まさに相手になんらかの感情を抱くことの加害性がテーマになった作品であるといえます。
そして『スペシャルQトなぼくら』では、恋愛感情を抱くことも抱かれることもある意味加害になってしまうという状況に踏みこんでしまいます。
さらにこの作品の驚嘆すべきところは、これだけ攻めたテーマを取り扱いながら、ベッタベタな展開できっちりと娯楽読み物として仕上げているところです。
ということで、20年代トップランナーも如月かずさであることが確定しました。セクマイテーマの児童文学を語るさいは、しばらくは『スペシャルQトなぼくら』が基準になりそうです。