『魔女だったかもしれないわたし』(エル・マクニコル)

主人公のアディは、類語辞典とサメを愛する自閉の少女。アディは、自分の住む村でかつて魔女裁判がおこなわれていたことを学校の授業で学びました。他の人と違うからという理由で魔女の疑いをかけられた女性もいたと知ったアディは、自分も同じ立場に追いこまれていたかもしれないと思い、彼女たちの慰霊碑をつくろうと活動を始めます。しかし、彼女の思いは定型の人々にはなかなか理解されず、活動は難航します。
作中ではしばしば、定型発達者の共感力の乏しさが揶揄されます。以前は共感できないことは自閉の特性とされていましたが、現在はこの認識は改められつつあるようです。アディは、現在も魔女裁判めいた差別で不当に拘束されている人がいることを知っています。アディにとってこのことは、他人ごとでも過去のことでもありません。しかし、定型の人々の多くはそこに想像力を及ぼすことはできませんでした。
命がかかっているので、アディたちの態度は戦闘的になります。作中では、アディを弾圧する人々にも背景に事情があるということには触れられています。しかし、そのことは和解の材料にはなりません。むしろ、被害者ぶっている加害者の悪辣さを印象づけています。
作品の大きな見どころは、この差別との戦いの苛烈さです。そして、もうひとつの見どころは、アディの戦いを支える姉妹の絆です。
アディには、少し年の離れた双子の姉がいました。自閉の大学生キーディと、定型の動画配信者ニナです。キーディはアディの先達としてさまざまな知恵を与えてくれる、もっとも頼りになる姉でした。アディとキーディは自閉の人として、ニナを含む定型の人に疎外されているように感じています。一方のニナは、アディやキーディのことを大切に思っているのにうまい接し方がわからず、疎外感を抱いています。また、キーディとニナがふたりで大人同士の話をしているときには、アディが仲間はずれにされているように思ったりします。この姉妹トライアングルが、差別との戦いにさらに熱と涙を加え、盛り上げてくれます。