もちろん子どもにこんなことをさせる大人を信用してはいけません。羽美は日頃から子どもを利用する大人たちへ不信感を抱いていました。
もしかしたら大人に利用されているんじゃないか、と、子どもはいつも注意を払ってなきゃいけない。保育園のときに旗を持たされて交通安全のパレードをさせられたのも、豪華夜行列車を駅のプラットフォームで待ち受けて手を振らされたのも、プロ野球選手が学校にきたときに全校生徒で歌を歌わされたもの、ああいうのはぜんぶ、子どもを演出として利用されただけだという気がする。ちっとも楽しくなかったもん。子どものあどけなさを利用されたんだと思う。子どもがあどけないって、誰が決めたんだ。
あらゆる点で大人は子どもに優越していて、子どもはいつもその力におびえています。児童向けフィクションの探偵ものには、せめて知恵の面だけでも大人と対等にありたいという切実な願いがこめられています。しかし、羽美の願いは無残に打ち砕かれます。
自分の中に揺るぎなくあったはずのものをもう一度見つけだしたかった。わたしの中にあった正しさのようなものが消えかけていた。
怪文書やカエンビンといったいささかアナクロさも感じさせる道具立てが、子どもが立たされている世界の荒涼さによい味つけをしています。そんな世界に立ち向かうために、子どもたちは大人からは奇行と思われるような行動で武装しています。羽美のファッションもそうですし、羽美の姉は一日の時間割を作るという強迫的のような行動をしています。また細田くんは、日々成長する自分の身体を惜しんで狭いところに挟まる趣味を持っていました。
世界の荒涼さと子どもの繊細さを描き出す筆致の鋭さは、まさに岩瀬成子ならではのものでした。