『銀のくじゃく』(安房直子)

銀のくじゃく (偕成社文庫)

銀のくじゃく (偕成社文庫)

火をおそれないけものは異常です。火は死を導くものなのだから。
「熊の火」は、仲間から見捨てられ山に取り残された小森さんが、たばこの火のあかりとともに現れた熊と出会う場面から始まります。熊は火のなかに敗残者の楽園〈熊の楽園〉があるのだと話し、自分の娘と結婚して楽園でともに暮らすよう小森さんを誘惑します。
たき火の煙の中につかの間の楽園を幻視した熊の親子は、それを永続させるため山の火口に行こうと決断します。もはや火も死もおそれの対象にはなっていません。火口のことを考える前に山を燃やすことも思いつきますが、熊は三日も続くような山火事をはかないものだとして、その思いつきをしりぞけます。火をおそれないけものの異様な思考が、読者をおののかせます。
一時は楽園に行きながらも、小森さんは熊を騙して人間の世界に帰還することに成功します。しかし、熊の娘が山を焼き火の道をつくって小森さんを迎えに来ます。火の道のあとには曼珠沙華の花が咲き、あざやかに赤い爪痕を残します。
火と死のイメージの鮮烈さで退廃の楽園を美的な世界に昇華する安房直子の筆力は、あまりにも邪悪です。
表題作「銀のくじゃく」は、実用品ばかりをつくることに倦んでいたはたおりの男が、くじゃくの化身の老人に見たこともないような豪華な道具や材料(緑の絹糸、日の光より上等の金の糸、月の光よりしなやかな銀の糸)を使って、緑のくじゃくの旗を織るよう依頼される話です。しかし、くじゃくの姫たちがやってきて、どこか遠くに連れて行ってくれる銀のくじゃくを呼び出すために、旗には銀のくじゃくを織るように頼みこみます。
「熊の火」と同じく、異類のものの強い憧れに人間が感化されて道を踏み外してしまうという構図がまた厄介です。はたおりは結局、老人の依頼と姫たちの依頼に引き裂かれ、片面に緑のくじゃく、もう片面に銀のくじゃくが描かれた旗という、人でもなく異類の生き物ですらないものに変容してしまいます。
1975年に筑摩書房から刊行された作品集『銀のくじゃく』が偕成社文庫になりました。この本で、安房直子の危険な世界に魅せられる犠牲者がまた増えることでしょう。新たな犠牲者を歓迎しようではありませんか。