『バラクラバ・ボーイ』(ジェニー・ロブソン)

炭鉱と発電所の町の小学校の四年生のクラスに、バラクラバ帽をかぶって顔を隠しているトミーが転校してきました。悪ガキコンビのドゥーガルとドゥミサニを中心にクラスの子たちはその謎を探ろうとしますが、核心的なことを尋ねると「なぜなら」とだけ言って沈黙してしまうといった具合にかわされます。
バラクラバ帽の秘密を解くためにあの手この手でトミーに接触しようとするさまをユーモアたっぷりに描いているのが、この作品のみどころです。わりとめんどくさいウザ絡みもしてきますが、一線を超えるか超えないかくらいのところでとどまっています。そもそもこのクラスは雰囲気がよく、学校で一言もしゃべらない子やいつも窓の外を眺めて「宇宙のまいご」になっている子も排除されずクラスのなかで居場所を確保しています。ならず者の上級生が暴力でトミーのバラクラバ帽をはごうとすると、みんなで勇気を振り絞って立ち向かう善性も持っています。そんな空気のなかでさまざまなおもしろ作戦が繰り広げられ、いつの間にかトミーも仲間として自然にとけこんでいきます。
作品は、仮面をかぶることを否定しません。むしろ、仮面をかぶることによって仮面ライダーのようにパワーアップできる面を肯定的に捉えようとしています。
オチもきれいに決まっていて、とてもよいユーモア児童文学を読んだという読後感を残してくれます。

『グリーンデイズ』(高田由紀子)

主人公の芽衣は、佐渡島で生まれ育った女子。東京に住んでいて名門大学の附属中学を受験するはずだった遠い親戚の男子の新が急に引っ越してきたことから、島での生活が変わりはじめます。
第1章では、芽衣が東京の新の家に遊びに行って、お城みたいな大学を見物して漠然とした憧れを抱く様子が語られます。そのあと、事情もわからないまま新が島に来るという急展開に引きこまれます。
物語は、都会と田舎に対する偏見を解きほぐす方向に進みます。島の生き物をおもしろがるのは都会から来た新だけで、島の子どもはふつうにマイクラとかで遊んでいます。前に島に遊びに来たときはセミやカブトムシを捕まえて遊んでいたではないかと新が問うと、芽衣は平然と「夏休みだし新くんが来たから、特別につきあってたんだよ」と答えます。また、田舎の大人は女子を田舎に閉じこめておきたがるだろうという偏見にも異議を唱えます。
新と一緒に勉強して過ごすことが増え島の友だちとのあいだに距離が生じてしまったりと、芽衣と周囲に軽い軋轢は生まれます。そこは地道な対話で解決を図ります。芽衣の進学の夢を阻むハンディキャップに対しても、現実的な方策を探っていきます。この作品の魅力は、後戻りしないカエルを物語の芯にして地に足のついた前進を見せる力強さに宿っています。

『きょうのフニフとあしたのフニフ』(はせがわさとみ)

ぞうのフニフとわにのワムくんの物語の第2弾。
第1話のフニフは、昨日はサナギだったのに一夜で変身したちょうや昨日ははだかだったのに今日には芽を出したいちょうの木と自分を比べ、自分にはなにか変化があったのかと思い悩みます。そこでワムくんが説く、「なあんだ、そんなこと」と思えるようなことの尊さに救われます。
第2話はフニフの家の時計が壊れて午後三時で止まってしまう話。ふたりは調子に乗って、何度も三時のおやつを繰り返します。しかし、ぞうとワニの胃袋にも、おのずと限界は訪れます。フニフもワムくんももうやめたいと思いますが、相手はまだ食べたいと思っているのではないかと気遣って暴食の祭を続けます。これはありがちな地獄ですが、偶然の助けで大惨事に至らずよかったです。
第3話では、きれいな月をワムくんにも見えてあげたいと思ったフニフが、月に自分の後をついてくるよう促してワムくんの家に向かいます。上方に月、真ん中に橋を渡るフニフ、下に川に映る月を配置したシンプルな構図のイラストが美しいです。
全体としてフニフとワムくんのなかよしっぷりにほのぼのさせてもらえます。ちょっと考えすぎるきらいのあるフニフを優しく受けとめてくれるワムくんの包容力がすばらしいです。

『レベッカの見上げた空』(マシュー・フォックス)

スウェーデンの冬の物語。ある冬の朝、カーラは奇妙なスノーエンジェルを発見します。スノーエンジェルとは雪に寝そべって手足をバタバタさせて天使のような跡を作ったものですが、そのスノーエンジェルの周囲には足跡がまったくありませんでした。雪密室のような謎めいた導入部が魅力的です。その後も天体観測中に屋根の上に人の足跡を発見したり、かぎ十字のついたコインを見つけたりと、カーラの周囲に不思議な出来事が続きます。やがてカーラは、ナチスの時代の少女レベッカとの時を超えた運命的な出会いをはたします。
時間SFと児童文学は相性がいいようです。古典をたどれば『トムは真夜中の庭で』や『思い出のマーニー』といった傑作が思い浮かびますし、戦争児童文学の手法としても定番化しています。この作品はさらにもうひとつ時間SFの仕掛けを加えることでエモを高める工夫をしています。しかし逆に考えると、そこまで児童文学SFが発達していなかった時代にあそこまでの爆エモを実現したフィリパ・ピアスはいかに偉大だったのかという話になってきます。
過去の戦争はもちろん悲惨ですが、カーラが生きる現代にも暴力ははびこっています。カーラは、自分を脅かす相手は暴力で打ち倒してどちらが強いのかを理解させなければならないと思ってます。これはかなり陰鬱な現状認識です。

『ペット探偵事件ノート 消えたまいごねこをさがせ』(赤羽じゅんこ)

宙のおじさんの源おじさんは、迷子のペットを捜索したりするペット探偵の仕事をしています。幼なじみの弥生の猫ソックスが行方不明になってしまったので、宙は源おじさんの力も借りながら猫捜しを手伝います。
源おじさんが子ども相手であってもきちんと契約をして代金を取ろうとしているところが好ましいです。プロの仕事にリスペクトを示すには、対価を払うことが基本です。こういう当たり前のことをおろそかにしないことは、子ども向けのフィクションとして大事なことです。
子ども向けフィクションでは、親戚からうさんくさい目で見られているおじさんはおいしいポジションにあたります。そういうおじさんにやってほしい職業は、無職・大学教員・探偵あたりが鉄板です。源おじさんの活躍が期待されます。
源おじさんの指南する探偵の技には具体性があります。交通量の多い道を横断することはめったいないという猫の習性を元に捜索範囲が絞れると、これなら捜せそうという気にさせられます。探偵の七つ道具を小出しにする手つきもうまいです。合理的にことを進めていけば猫を見つけるという目的が達成できそうだという道筋をはっきりと見せてくれるところに、この作品のおもしろさはあります。
ただ、正攻法で捜して見つからないとなると、困ったことになります。ペットトラブルは後味の悪い話になりがちですが、そこは赤羽じゅんこ、うまく話を収めてくれます。

『6days 遭難者たち』(安田夏菜)

体力自慢でいつか槍ヶ岳に登りたいという望みを持ちながらも地図や天気図等の座学がイヤで登山部を辞めた女子、母親の病気という現実から逃げたい女子、『ゆるキャン△』的なアニメが好きで山に興味を持った女子、三人の高校生が初心者向けの山に登り下山のコースが外れて遭難してしまう話です。『ゆるキャン△』観ていたのなら、やつらは趣味のためには労力を惜しまないのだということを学んでてほしかった……。
山が相手なので、人間に手心を加えることはありません。絶望の底のなさを容赦なく叩きつけてくるところが、この作品の最大のみどころです。
極限状況のため、フィクション的なお約束が逆に説得力を持ってくるのがおもしろいです。登場人物が間違った判断ばかりすると、物語の都合で動かされている感がでてしまうこともありますが、山で体力気力が衰えた状態だと判断力が低下するのも仕方がないと納得させられます。都合よく死者が現れるのも、そりゃ幻覚見るのも当然だろうと思わされます。
物語の冒頭、元登山部女子は登山部顧問から、「一生、山には登んないほうがいいよ!」というまっとうなお説教を受けます。この顧問、なんの落ち度もないのに各方面から非難を受けることになるんだろうなかわいそうと、余計な心配をしながら読んでいました。この人が強メンタルでよかったです。

『真夜中の4分後』(コニー・パルムクイスト)

物語が始まるのは、二十三時五十四分の病院。語り手は十二歳のニコラス。ニコラスの語りは少し口が悪いようにみえますが、その事情はすぐにわかります。

その部屋で、ぼくのお母さんは、せっせと死にかけている。死んでもいいかと、ぼくの許可も取らずに。みんな、まずはわが子に許可を取るべきだ。子どもに決めさせるべきなんだ。

これは、子どもがどんな悪態をついても許される状況です。最悪の瞬間を前に、ニコラスは犬の動画を延々と眺めて現実から逃げることしかできません。
こういう状況にある子どもは異界に導かれるものです。ニコラスはエレベーターで「終点」に降り、奇妙な地下世界で列車に乗りこみます。
パトリック・ネス&シヴォーン・ダウドの『怪物はささやく』と同様に目を背けたくなる題材ですが、この作品はニコラスの皮肉の効いた独特の語り口や地下世界の不思議さで読ませてくれます。
受けいれがたいことを受けいれるには語ること物語化することが重要であるとする点で、2作は共通しています。これは、文学の力に対する信頼によるものでしょう。