『ジャンピング・サクラ 天才テニス少女対決!』(本條強)

主人公の山崎桜子は、サッカーが大好きな小学5年生。ですが、世界レベルのテニス選手だった祖父からお寺を練習場所に英才教育を受けていたので、テニスの腕前はとびぬけていました。祖父の指示でたいした意欲もないのに出場した長崎県大会では余裕で優勝。テニスはサッカーと違って簡単に点が入るからつまらないと、真剣にテニスに取り組んでいる子たちから袋だたきにされても文句が言えないようなことを思っていました。慢心の極みにあった桜子ですが、東京から来たバックに花を咲かせる特殊能力持ちのお姫様のような天才テニス少女麗香*1に完敗し、百合に目覚めます。それも、「ああ、来た来た、この身が焼けるような劣等感。この感じ、もはや快感に変わりつつあります」とか言ってしまうくらい高度な領域にまで。
主人公がクズでお道化が過ぎるタイプなので、多少主人公が落ち込んでも軽く笑って読めるのがいいですね。
練習の場面は理論的で説得力があります。また、子どもがひとつの競技に縛られず、複数の競技を楽しむさまを自然に描いているのも、時代の進歩が感じられます。子ども向けのスポーツ小説としておさえるべきところを丁寧におさえている感じがします。
試合のシーンは、ギャグとシリアスの緩急の使いわけがうまく、ぐいぐい読ませてくれます。スポーツとは関係のないイメージ映像を差し挟んだりといったアニメ的な演出も効果的。ライトなスポーツギャグ小説としては、満点の作品です。

*1:年齢がばれるので、「お蝶夫人」とか言うのはやめよう。

『火狩りの王 三 牙ノ火』(日向理恵子)

火狩りの王〈三〉 牙ノ火 (3)

火狩りの王〈三〉 牙ノ火 (3)

人が火に近づくと人体が発火して死んでしまうようになった未来を舞台にしたポスト・アポカリプスSF児童文学「火狩りの王」シリーズの3巻が出ました。いよいよ首都に戦火が及び、人と改造人間と神族の戦いが激化。物語はさらに血なまぐさくなっていきます。
各陣営が開示する世界の秘密は、いまのところどこまで信用してよいのか定かではありません。おそらく、神話や伝承のかたちで伝えられる情報は疑ってかかった方がよいのでしょう。確かな情報には、科学的裏付けが求められます。そういう観点からおもしろかったのは、死体が穢れとされる理由でした。その理由は、死体が燐火を発生されるからだというものでした。そりゃ、火に近づくと死んでしまうこの世界では、死体が忌み嫌われるのは合理的といえます。シリアス場面なのに、このこじつけには笑わされてしまいました。
さて、各陣営が入り乱れて殺し合うしっちゃかめっちゃかな状態の中で、主要登場人物の感情が高まって物語を盛り上げいきます。明楽に火狩りの王になってもらいたいが、狩る対象の〈揺るる火〉が少女の姿をしていることを知ってしまい明楽の決心が鈍るのではないかと心配する灯子。妹の緋名子を守るために兵器開発にまで手を染めてしまったのに、すべてが裏目に出てしまった煌四。永い時間姉神を救いたいと願い続けているのに、やはり願いを果たせそうにないひばり。それぞれ背負う悲劇性が、作中人物の魅力を増幅させていきます。はたしてそれぞれの思いは報われるのか、続きが気になります。

『レディオワン』(斉藤倫)

レディオワン (飛ぶ教室の本)

レディオワン (飛ぶ教室の本)

飛ぶ教室」2018年4月号・7月号・10月号・2019年1月号に掲載された作品に書き下ろしを加えた本です。バウリンガルのすごいやつで人間の言葉を話すことができるようになった犬のジョンが、ラジオのDJをする話です。
第1話のフリートークでジョンが語るのは、公園のベンチで泣いている制服を着た女子に出会ったエピソードです。もうすぐくる卒業式を思って泣いていることを知ったジョンの飼い主は、「第二ボタンとか、もらうといいわ」とアドバイスします。しかしそれは間違った推理で、真の探偵役のジョンは人知れず真相にたどり着きます。
飼い主の勘違いがうまい具合に誘導してくれるので、読者は比較的容易に真相を看破することができるはずです。第1話は、よくできた小粋な日常の謎ミステリになっています。
おもしろいのは、ジョンの探偵役としての仕事は2段階になっているというところです。事件の謎解きは、人間の言葉をしゃべれるラジオ内で繰り広げられます。しかし、事件の現場である公園ではジョンは話すことができません。そのためジョンは、言語を介さないコミュニケーションで女子を救い、事件を解決するのです。
しかし、読み進めていくと徐々に斉藤倫らしい病みが姿を現してきます。昔ジョンが多数の犬たちと檻に閉じ込められていたとき、人間が「ショブン」という言葉を発したときに仲間の犬が外に出さることに気づいて、意味もわからず「ショブンして! ねえねえ! ショブン!」とはしゃぎまわったというエピソード。心療内科の医師をしている飼い主が「にんげんは、もうだめ」と語るエピソード。児童文学作家としての斉藤倫を初期から知っている読者は、そういえばこの人は「ころして ねえ ぼくをころして!」「こここころしてねえこここころころころころころころ」の人だったなあと思い出すことでしょう。
ここぞというところでひらがなを多用したりする手法にはややあざとさも感じられますが、斉藤倫の言葉はやはり強いです。ただし、その言葉の強さは絶望を語るときにも希望を語るときにも同等のはたらきをしているので、結局どっちなのかわかりにくいところに、斉藤倫作品を読むさいの難しさがあるような気もします。
以下のリンクは、金原瑞人と斉藤倫の対談です。参考にどうぞ。
https://note.com/saito_rin/n/ncd171c497e58
https://note.com/saito_rin/n/n5a08ccc4da7d

『メロンに付いていた手紙』(本田有明)

メロンに付いていた手紙

メロンに付いていた手紙

12歳の誕生日プレゼントということでメロンを買ってもらった海斗は、結局家族みんなで食べることになったのにぶつくさ言いながらも、箱の中に手紙が入っていたことに気づきます。字の感じから同じくらいの年の子が書いたのだろうということになり、メロンの感想の手紙を送ると、夕張から返信が来て、なんやかんやで夏休みに遊びに行くことになりました。
社会科見学や調べ学習的な要素が楽しい作品です。新しい友だちがほしい、知らないところにいってみたいという素朴な願望が物語を駆動するので、すいすい読み進めていけます。親の説得からはじまり、段階を踏んで話が進んでいくので、わかりやすいです。
この作品の美点は、とにかくわかりやすいところにあります。夕張の事情についても、市の広報誌に載ってる人口の増減をみて、1ヶ月でこれだけ減っているからこのペースで1年たつと人口の5%がいなくなることになると、シビアな数字で現実を突きつけてきます。
文章も平易で、比喩も素直。メロン畑をみたときの海斗の感想が「いちめんのメロン いちめんのメロン いちめんのメロン いちめんのメロン」と、教科書に載ってるメジャー作品をパクらせることで親しみやすさを演出しているのもうまいです。
小学校中・高学年以上向けの作品となると、ある程度読める子向けに文章がチューンされているものが多くなってきます。そんななかでこのなじみやすさは貴重で、幅広い層の子どもにアプローチできる作品になっています。

『スパイガールGOKKO 極秘任務はおじょうさま』(薫くみこ)

ベテラン作家による80年代風味のエンタメ児童文学のシリーズの第2弾が出ました。
演技力抜群のあかり、文武両道のキト、奇怪な言語を話すモヨヨ。箱根の小学校に通う6年生女子三人組は、「GOKKO」というスパイチームを結成し、日々スパイに必要な「すぐれた観察力と判断力、的確で大胆な行動力」の鍛錬に励んでいました。そんな三人組に、名門おじょうさま学校白雪学園から依頼が来ます。桜小路家という名家のおじょうさまが転校してくることになったのですが、その子は転学の手続きに必要な夏休みのオリエンテーションへの参加を拒否します。経営難で桜小路家の提示した寄付は欲しいから学校側は転学を認めないわけにはいきませんが、体面を考えると手続きを省略することもできません。そこで、「GOKKO」のメンバーを替え玉としてオリエンテーションに参加させようともくろみました。「GOKKO」は張り切って依頼を受けますが、思いがけない事件に巻き込まれることになります。
秘密基地とか潜入とか変装とか、小学生の琴線に触れるワードがたくさん出てくるのが楽しいです。そして、起こる事件もいい具合の温度。安心して読めるライトミステリになっています。
でありながら、実は異文化理解という深いテーマ性も織り込まれています。演技派のあかりが替え玉役を引き受けますが、まず必要な訓練はおじょうさま言葉をマスターすること。庶民の小学校に通う三人組にとっては、まったくの異文化です。理論派のキトは、「言葉づかいというものは、その人の価値観、所属する層を示すものであると同時に、その人が無意識のうちに自分と、まわりを欺くために用いられる道具でもあります」と講釈します。言葉を学ぶことは、異なる層の人間を理解するための第一歩にほかなりません。ただしその訓練は、「うるさいヤツ」を「お元気な方」と言い換えるようないやみギャグにもなっているわけですが。
そして、潜入先で事件に巻き込まれると、あかりはお世話係のおじょうさま麗と急造チームを作って犯罪者たちに立ち向かうことになります。この異文化のふたりのあいだに友情が成立するのかどうかというのがみどころです。そこで関わってくるのは、やはり言葉です。友だちというのは、よくも悪くも影響を与えあうもの。「オソレ」「オソレ」「ゴキ」という意味不明な言葉が、うるわしい異文化交流の媒介物となります。

『もうひとつの曲がり角』(岩瀬成子)

もうひとつの曲がり角

もうひとつの曲がり角

転校してから英会話スクールに通っている小学5年生の朋は、スクールが休みなことを知らずに行った日に思い立って、郵便局の角の脇道に入ってみることにしました。そこで見つけたのは「喫茶ダンサー」という看板のある店。その庭で「冷蔵庫のなかだなんて、まっぴらごめんよ」という不思議な朗読をしているオワリさんというおばあさんに出会います。朋は英会話スクールをさぼってオワリさんのところに通い詰めることになります。ところが、何度目かに例の曲がり角に入ると周囲の雰囲気がまったく変わり「喫茶ダンサー」が見つからず、今度はレンガ塀の上に立っている同年代の女子と出会います。朋はふたつの曲がり角に出入りを繰り返すことになります。
将来のためだからという親の命令で行きたくもない英会話スクールに通わなければならないという朋の悩みは、最近の児童文学の流行である貧困家庭の子どもの困難などと比較すれば、軽いものにみえるかもしれません。しかし、個人の不幸に序列をつけることは無意味です。この作品を読んでいると、真綿で首を絞められるような苦しさが迫ってきます。やりたくないことを続けると精神が死ぬということを強制的に理解させられてしまいます。その一方で、曲がり角というアジールの輝かしさもたっぷりと描かれてます。
手練れの技に感嘆するしかないという感じの作品でした。

『友だちをやめた二人』(今井福子)

友だちをやめた二人 (文研じゅべにーる)

友だちをやめた二人 (文研じゅべにーる)

  • 作者:今井 福子
  • 出版社/メーカー: 文研出版
  • 発売日: 2019/08/01
  • メディア: 単行本
タイトルとカバーイラストから、友だちをやめて恋人になるということかと脊髄反射で理解し、いや、普通に考えて親友になるってことだよねと思い直してから読みました。そしたら、いろんな段階をすっとばして右の子が左の子に「いま、わたしといっしょに×××くれる?」という激重なおねだりをしてきて驚愕。2019年の百合児童文学は、こちらの想定を軽々と飛び越えてくれるので油断できません。
気弱な性格の七海は、自分とは正反対の活発な性格の結衣とずっと仲良くなりたいと思っていました。家が近くて同じクラスになることも多く、一緒に捨て猫を拾ったりといったふたりの思い出もあるのに、5年生になってもいまひとつふたりの距離は縮まりません。
人は異質な他者に魅力を感じるものなので、捨て猫をみたら現実的にすっぱりとその処遇を考えたり、公園に誘っていきなり泣き出したかと思えばそのあとすぐ倒立のやり方を教えてくれたりといった結衣のわからなさは、七海をかき乱し結衣への思いを増幅させていきます。そんな他者との関わり方が幸福感たっぷりに描かれていて、安心して子どもに手渡せる児童文学になっています。
七海にはふたりも年長の導き手がいることも、この作品の安心感につながっています。ひとりは姉で、結衣と同じようなさっぱりした性格で、ずっと七海の憧れの対象になっていました。もうひとりは祖母。「人はね、一人では生きられないけど、一人でなくちゃ生きられないのよ」などと深みのあるっぽいアドバイスを与えてくれます。
ただし、祖母とは死別し姉も進学で家を出ることになります。実はこの物語は、七海にとって保護者喪失の物語でもあるのです。であるからこそ、「一人でなくちゃ生きられない」人間が他者を求めることの切なさが輝きを増していきます。