『分解系女子マリー』(クリス・エディソン)

マリーはものを分解するのが好きな工学女子。自分の趣味のためと、多発性硬化症を患っている母を助けるために、トップレベルの科学を学びたいと願っていました。そんなマリーのもとに世界的なIT企業のバンス社からサマーキャンプの招待状が届きます。世界中から優秀な子どもを集めて開催されるバンスキャンプではロボットの開発競争がおこなわれ、マリーも優勝を目指して奮闘しますが、そのうち世界的な危機に巻きこまれてしまいます。
ホグワーツからの招待状がドローンで届けられるというのが現代的です。ホログラムやらなんやら魔法めいた小道具が天才の集まる非日常を盛り上げてくれます。
マリーはキャンプでの新しい出会いにも期待していました。そして、科学女子・数学女子・IT女子と仲良くなり、Science・Technology・Engineering・MathematicsのSTEMキッズ四人組を形成し、きらら的空気になります。
むこうのYA・児童文学ではジャンルを形成しているといっていいくらいサマーキャンプものはたくさんあります。ただし見方を変えると、面識のないメンバーが集められるという設定は、デスゲームもの・バトルロワイヤルもののようでもあります。この作品では殺し合いまではしませんが、勝者がひとりだけであることは同様です。キャンプの序盤にマリーは主催者から「この中にスパイがいる」と吹きこまれ、疑心暗鬼の不穏な空気も流れてきます。バトロワものでは、……がキーパーソンになるというのもお約束。そういった意味でも娯楽性が確保されています。
理系女子のエンパワメントを指向するテーマで、マリーが最終的に開発するロボットの方向性も現代的。いまの時代に求められる娯楽児童文学です。

『トムと3時の小人』(たかどのほうこ・平澤朋子)

母と散歩中にふらっと入った古道具屋で『トムと3時の小人〈下〉』という本を見つけて興味を持った少年つとむの物語。そのときは手に入れ損ねたので、図書館で探そうとしますが、思いがけない展開になります。
この作品の主眼は、物語の入り口の楽しさを描くところにあります。まず古道具屋の古本という入り口が魅力的です。しかし図書館に行くと、そのタイトルの本は上下巻になっていませんでした。ここで作中で何度か起こる裏切りの1回目がなされます。そして、その1冊の『トムと3時の小人』を読むためにつとむは、いまでは人の気配の少ないいかめしい旧図書館に導かれます。図書館の秘密空間も不思議な世界の入り口として謎めいた引力を持っていて、天沢退二郎の夜間閲覧室なんかが思い出されます。
入り口があれば通常は出口があるはずです。でも、高楼方子作品となるとどうでしょうか。最悪ハリネズミの針に刺し殺されたり、無限ループ地獄に陥ったりするのが高楼ワールドです。入り口の先には、危険な無間の沼が広がっているかもしれません。

『お江戸豆吉 けんか餅』(桐生環)

第2回フレーベル館ものがたり新人賞優秀賞受賞作。主人公の豆吉は『鶴亀屋』という江戸で評判の菓子家で働いている少年。彼の悩みの種はけんかっ早い若旦那でした。客と大げんかをした若旦那はとうとう旦那様から家を追い出され、浅草の店で修業するよう言い渡されます。その若旦那の付き添いに指名されたのが豆吉で、ふたりっきりで新しい店の立ち上げという難しい事業の成功を目指します。ところが、類友で若旦那が家を追い出される原因となったけんか相手の職人など荒っぽい連中が店の常連となり、豆吉の悩みはつきません。
落語風のお江戸ワールドの空気が心地よい作品です。大柄で気が短く、イケメンだけど怒っているときは怖い若旦那ですが、繊細な技術とセンスを求められる菓子職人として一流であるというギャップが魅力的です。勘当同然の身でありながら弟弟子の豆吉の教育にも気を配る優しさも持っています。なんのことはない、ちょっと口が悪くてけんかっ早いことにさえ目をつぶれば、若旦那は完璧超人なんですね。
どんどん増えるけんか仲間も、それぞれ職業人としての矜持を持っていて尊敬できる人物ばかり。いまのところ性格のねじくれた登場人物は出てこないので、ストレスなく読み進めることができます。
ストーリーの流れは、人間関係の広がりとともに若旦那に試練が訪れ少しずつステップアップしていくというもの。無駄のないわかりやすいストーリー展開を制御する堅実な書きぶりは、とても手慣れているようにみえます。
こういうのでいいんですよ、こういうので。中学年向けくらいで江戸を舞台にした軽く読める良質なエンタメ、この手のがいまあまり見当たらなかったので、ちょうどこういうのがほしかったところです。続編も間もなく刊行されるようです。そう、こういう温度のがいいんですよ。いいシリーズに育ってもらいたいです。

『ろくぶんの、ナナ』(林けんじろう)

第17回ジュニア冒険小説大賞受賞作。遠足でひとりだけ迷子になってしまった小学5年生のナナは、ボロっちいあやしげなお土産屋さんに迷いこみ、不思議なサイコロをもらいます。そのサイコロには目ごとに異なるコロ格(人格)があり、サイコロを振ると出た目にナナの人格を乗っ取られてしまいます。
特殊設定はありますが、物語は地に足がついています。ナナは多少引っ込み思案な性格ですが、そういった悩みは程度の差はあれ誰にでもあるものです。最初の迷子の場面の心細さで読者の共感をうまくつかんでいます。不思議なサイコロも、現実的に置き換えれば一気に個性豊かな友だちが6人もできたといううれしさに変換できます。クライマックスの大冒険も、小学生の生活実感にあった大冒険になっています。
作品の雰囲気は、昭和後期から平成初期のユーモア児童文学のものに似ています。より具体的にいえば、くもん出版のレーベル〈ユーモア文学館〉にあったような作品を現代的に洗練させたような感じです。中盤には、サイコロの能力を使って怒りっぽいおじさんや友だちのいとこの生意気少年など身近な厄介さんとバトルする展開もあります。このあたりも往年のユーモア児童文学っぽいです。
現在の児童文学は子どもの目線に降りて寄り添う視点のものが主流です。しかし、この作品の文体には、良識ある大人が適度な距離を置いてあたたかく子どもを見守っているような安心感があります。
全体的に落ち着いていて懐かしい感じのする作品で、2,30年くらいキャリアのある作家が肩の力を抜いて書いたもののようです。現代のエンタメ児童文学の流行とは異なる雰囲気の作品ですが、それゆえ独自性があり、得がたい価値があります。
ところで、このタイトルと設定からこの懐かしいやつを思い出した人は、どのくらいいるでしょうか?

『ゴリランとわたし』(フリーダ・ニルソン)

2005年刊行のスウェーデンの児童文学の邦訳が登場。著者のフリーダ・ニルソンは、リンドグレーンと並び称されるほどの高い評価を受けている作家だそうです。
主人公は、あまり環境のよくなさそうな施設〈ヨモギギク園〉で育った9才の女子ヨンナ。ある日子どもを引き取りたいという女性が現れますが、その女性の姿が2メートルほどの巨体だったため、園の子どもたちはみな逃げ出してしまいます。逃げ遅れたヨンナはなぜか気に入られてしまい、ゴリランと名乗った女性の養子にされます。
園の仲間がゴリランのおなかがふくれていることと養子をもらうことに関連があるのではないかという邪推を披露していたので、ヨンナははじめはおびえていました。しかし、一緒に車の運転をしたりインチキ古道具屋をやったりしているうちにだんだんゴリランのことが好きになっていきます。
ゴリランは、見た目が他の人と異なっているために苛烈な差別を受けているマイノリティ女性です。差別に立ち向かうため粗野な行動をすることもありますが、実は『オリバー・ツイスト』をバイブルにしている知的で繊細な本オタクであるという面も持っていました。いずれは古書店を開きたいという夢があり、ヨンナもその夢を応援します。
年齢差があるので、ゴリランは保護者としてヨンナを守り導く役割を負っています。ただし、ふたりの関係は可能な面では対等なパートナーシップを志向しています。ふたりのお互いを尊重しあう態度には胸を打たれます。ヨンナは特別本が好きというわけではありませんが、ゴリランの趣味を尊重していてどんなときも本への思いを大事にするように促します。ふたりの人生に関わる重大な決断が必要な場面では、ゴリランは大人だからといって独断で突っ走らずに、ヨンナの主体的な選択に委ねます。このふたりの理性と思いやりのあり方は、なかなか真似できるものではありません。
この作品で最も美しい場面は、決戦前夜の、ゴリランが森のなかの秘密の場所にヨンナをいざなう場面です。

「あたしがいいたいのはね、あんたにこの場所をおぼえておいてほしい、ってことなんだ。あした、どんな結果になったとしても、進むべき道はどこかにちゃんとあるんだよ。ちょうどあたしがここにきていたみたいに。その……消えちゃいたいなって思ったときに」

ゴリランはここで文学への信仰を吐露し、道しるべとなる星の存在を示します。どんなに打ちのめされても希望を捨てず生きのびてきたゴリランの魂の気高さに圧倒されます。
最悪な人生のなかにかすかな光を見出す希望の物語として、虐げられた女性同士の連帯の物語として、最高に美しい作品でした、

『サマークエスト』(北山千尋)

第2回フレーベルものがたり新人賞優秀賞受賞作。小学校6年生のヒロキは、仲良くしている*1新が夏休みにおこなわれる子ども会主催の学校での宿泊行事に参加することを知り、一緒に申しこみます。この行事がきっかけとなり、ふたりの夏は特別なものになります。
ヒロキの父は、ヒロキが幼いころに亡くなっていました。死因は海で溺れたのだということしか聞かされておらず、ヒロキはひそかに自殺の可能性も疑っていました。周囲の大人から子ども扱いされて真実を知らされないことが、ヒロキを悩ませます。
ヒロキの語りには言葉の上ではいらだちがはっきりと表明されていますが、不思議に抑制が効いていて読者に不快さを感じさせません。この文体の落ち着かせ方がうまいです。

そう考えて、おれはもやもやしている理由に気づいてしまった。
おれがいやなのは、新が受験することを打ち明けてくれないことじゃなくて、おれと別の学校に行きたがってる、ってことだ。
うわ、これってすごくかっこわるい。情けない。

対大人だけでなく、横方向にもヒロキは悩みを抱えていました。それは、がんばって塾通いをしているらしい新の進路をはっきりと知らされていないこと。ちょっと新に向けるヒロキの感情は重いような気もしますが、確かなのはほしい情報を与えられないといういらだち、疎外感がヒロキを苦しめているということです。

そして、おれと新は別々に、秘密の旅に出る。

読んだ人は誰もが指摘しているところですが、この「別々に」というのがこの作品の最大の特色です。疎外感をテーマのひとつにし、それぞれの課題はそれぞれで探求するしかないという距離の置き方を徹底しています。そして、それゆえに他人とわかりあえる可能性が開かれていくという流れが美しいです。

*1:ふたりが仲良くなったきっかけは、運動会のリレーで新が靴を飛ばしてしまったのをヒロキが拾ったことでした。このエピソードは、芝田勝茂の『星の砦』を思い起こさせます。些細なエピソードのようですが、深く読みこむ必要があるかもしれません。

『夏のカルテット』(眞島めいり)

描写力が圧倒的だったデビュー作『みつきの雪』で児童文学ファンを震撼させた眞島めいりの第2作。たまたま図書委員で同じ班になった中学1年生4人が、夏休みのグループ研究で音楽活動をする物語です。学校という階級社会の周縁にいる彼らの活動は、やがて悪意にもさらされることになります。
学校の片隅にいる子どもたちを徐々に熱狂の世界にいざなっていく道筋の立て方がうまいです。学校が改装工事中で騒音のためほとんど学校図書館に人が寄りつかないという設定の絶妙なこと。ここで図書委員の仕事ははほとんど意味をなさなくなっているので、反社会的な性行のない子どもたちが、どうせ聞こえないからここで楽器を鳴らしてもいいじゃんというあたりから逸脱しはじめていきます。夏の空気に浮かされてどんどん盛り上がっていく様子の楽しそうなこと楽しそうなこと。そしてそことの落差で、後半のシリアス展開も引き立ちます。
『みつきの雪』は寒さと静謐さ、『夏のカルテット』は暑さと喧噪と熱狂という対称的で質の異なったものになっていましたが、こちらでも眞島めいり一流の描写力が発揮されていました。