特殊能力を持つ小学五年生三人組がSCP財団の臨時職員として異常存在に立ち向かうシリーズの第2弾。第1話は〈不死身の爬虫類〉相手に大怪獣バトル、第2話は〈インドアなセールスマン〉相手にトークバトル、第3話はスシバトルのカオス回と、構成がフリーダムなところがキッズ向けエンタメらしいです。
助っ人として活躍してくれる異常存在が今巻の目玉です。特に存在感が強いのが〈ペスト医師〉。即死技の能力が極悪なうえに、ビジュアルまで最強なのがずるいです。カバーイラストでも完全に主役の座を奪っています。ペスト医師は子どもたちに、財団職員を疑えとほのめかすような助言を与えています。あとがきの書きぶりでは今後も登場しそうなので、続きが楽しみです。
主役の三人組もキャラが立ってきて、さらにおもしろくなってきました。作戦立案役のアユムは財団の権力を笠に着て調子にのっており、悪役のようにふるまっているのが笑えます。そんなアユムの犠牲になりがちなのが、おバカ不憫な立ち位置が固定されてきたヒナタ。いつか彼女には豪快にアユムをぶっとばしてもらいたいです。
『こぶたのブウタ』(神沢利子)
1971年刊行。瞳の表情の表現が巧みな挿絵も自身で手がけています。2026年7月に新版が刊行。その後10月11日に神沢利子は亡くなりました。今年は山中恒も亡くなっており、戦後児童文学黎明期は遠くなりました。しかし、戦後児童文学が若かった時代の傑作群はいまも色褪せることはありません。
新版のあとがきによると、『こぶたのブウタ』はトラウマ度の高い長編ファンタジー『銀のほのおの国』の連載終了後に執筆されたものだそうです。あとがきには「「食べることと食べられること」というテーマに、若いころからずっとこだわりがあった」とあります。『銀のほのおの国』がまさにそうですが、むしろ幼年童話こそその生の本質に迫ったテーマを直截に語りやすいジャンルであるように思われます。
こぶたのブウタは第1話で、おにぎりに具を入れるさまから類推したまごにきみを入れるときにはどうするのかという疑問を抱きます。神沢幼年童話の主人公が抱く問いは、幼児の知的好奇心を刺激し世界の解像度を高めるのにぴったりのものばかりです。めんどりに尋ねてみたところ、めんどりもくびをかしげ「あたしのおなかの中でじどうてきになるんじゃない」とはっきりしない返答をします。ブウタは今度は「じどうてき」ということに興味を抱き、きつねのツネタと問答します。ツネタはこれに、自動販売機の仕組みについて説明するという的外れな返答をします。きつねの一族は自動販売機やコンピューターを開発していて、テクノロジーの側にいます。
ぶたは捕食者であるオオカミにおびえています。オオカミと思われるものが住む家についていた表札が「タンカミカ」。この言語感覚がよいです。ぶうたは「タンカミカ、タンカミカミカミタンタカタン……」と陽気に歌い出します。
ブウタはオオカミに監禁され、その危機から脱します。おそろしいのは、最後に配置されるツネタのおじいさんの述懐です。「オオカミのきもちがわかる」というおじいさんは、欲望の克服のためにテクノロジーを発展させ、文明化をもくろんでいます。ぶたもオオカミもきつねも、みな人間の一面です。欲望や野性を抱えて生きるというテーマは幼児に突きつけるには難しいような気もしますが、むしろ文明化される途上にいる発達段階だからこそ適切なのかもしれません。
新版のあとがきによると、『こぶたのブウタ』はトラウマ度の高い長編ファンタジー『銀のほのおの国』の連載終了後に執筆されたものだそうです。あとがきには「「食べることと食べられること」というテーマに、若いころからずっとこだわりがあった」とあります。『銀のほのおの国』がまさにそうですが、むしろ幼年童話こそその生の本質に迫ったテーマを直截に語りやすいジャンルであるように思われます。
こぶたのブウタは第1話で、おにぎりに具を入れるさまから類推したまごにきみを入れるときにはどうするのかという疑問を抱きます。神沢幼年童話の主人公が抱く問いは、幼児の知的好奇心を刺激し世界の解像度を高めるのにぴったりのものばかりです。めんどりに尋ねてみたところ、めんどりもくびをかしげ「あたしのおなかの中でじどうてきになるんじゃない」とはっきりしない返答をします。ブウタは今度は「じどうてき」ということに興味を抱き、きつねのツネタと問答します。ツネタはこれに、自動販売機の仕組みについて説明するという的外れな返答をします。きつねの一族は自動販売機やコンピューターを開発していて、テクノロジーの側にいます。
ぶたは捕食者であるオオカミにおびえています。オオカミと思われるものが住む家についていた表札が「タンカミカ」。この言語感覚がよいです。ぶうたは「タンカミカ、タンカミカミカミタンタカタン……」と陽気に歌い出します。
ブウタはオオカミに監禁され、その危機から脱します。おそろしいのは、最後に配置されるツネタのおじいさんの述懐です。「オオカミのきもちがわかる」というおじいさんは、欲望の克服のためにテクノロジーを発展させ、文明化をもくろんでいます。ぶたもオオカミもきつねも、みな人間の一面です。欲望や野性を抱えて生きるというテーマは幼児に突きつけるには難しいような気もしますが、むしろ文明化される途上にいる発達段階だからこそ適切なのかもしれません。
『トモダチ★アツメ 仲よくなりたいトモダチ』(神戸遥真)
小学校内に出没しトモダチを求める幽霊(?)のメアを中心とするホラー連作集。メアは犠牲者の女子にプロフィール帳のシートを渡します。そのプロフィールシートには「――したいトモダチ」という項目があり、そこに他人に対する願望を記入すると願いが叶います。
第1話の主人公の初田奈都は、体育が苦手で地味な六年生。同じクラスでハイスペック女子の皆瀬さんに憧れていて、メアのプロフィールシートで仲よくなりたいという願いを叶えてしまいます。皆瀬さんは奈都にベタベタ絡んでくるようになりますが、タイプが違いすぎるので奈都は満たされることなく苦悶します。もう少し低学年であればタイプの違う子とも親つながりなどの縁で仲よくすることはできるのですが、六年生ともなるとそれも難しく、成長とは残酷なものです。
犠牲者たちは発展途上の小学生なりのリアルで共感しやすい悩みをみせてくれます。一方で、メアも未熟な怪異です。トモダチを得るという自らの利得のために都合のいい契約条件にせず、迂遠な方法を採っています。そこが第2話では恐怖を演出していますが、ほかにも自分に不利なことをぽろっと言ってしまったりと、時折うかつさを露呈します。メアは自分の利益のために冷酷になりきれない子どもです。その未熟さが人間らしくて魅力的でもあり、哀れでもあります。
メアと異なり、まっとうに人とつながることができたのが第4話の主人公の四ノ宮咲です。咲は同じ塾に通う成績優秀な和実を憎んでいて、勝ちたいという願いを叶えます。咲は和実との接触が多いわけではありませんが、母親同士の仲がよく、母親を通して和実の話を聞き、母親の不機嫌な態度に感化されて和実を強く意識しています。個人間の噂話から権力主導の差別扇動プロパガンダまで、よく知らない人を憎ませることは容易です。その分断を乗り越えるためには、対話するしかありません。メアもこの成功例から学んでもらいたいですが、いまの段階ではまだ難しそうです。
細かい点ですが、第3話でテキストとイラストにずれがある点が興味深いです。第3話の主人公の文絵は、もうひとりの犠牲者の清香が身体的接触を苦手としていることを知ったばかり。ふたりでメアから逃げている場面でも、テキストでは直接的に文絵が清香に触れている描写はありません。しかしイラストでは、清香の手を引いたり背後に寄り添ったりしています。理屈ではわかっていても、実際に化け物に襲われてるという極限状況でその配慮ができるかというと難しいでしょう。テキストとイラストが解釈バトルをしているようにもみえます。
第1話の主人公の初田奈都は、体育が苦手で地味な六年生。同じクラスでハイスペック女子の皆瀬さんに憧れていて、メアのプロフィールシートで仲よくなりたいという願いを叶えてしまいます。皆瀬さんは奈都にベタベタ絡んでくるようになりますが、タイプが違いすぎるので奈都は満たされることなく苦悶します。もう少し低学年であればタイプの違う子とも親つながりなどの縁で仲よくすることはできるのですが、六年生ともなるとそれも難しく、成長とは残酷なものです。
犠牲者たちは発展途上の小学生なりのリアルで共感しやすい悩みをみせてくれます。一方で、メアも未熟な怪異です。トモダチを得るという自らの利得のために都合のいい契約条件にせず、迂遠な方法を採っています。そこが第2話では恐怖を演出していますが、ほかにも自分に不利なことをぽろっと言ってしまったりと、時折うかつさを露呈します。メアは自分の利益のために冷酷になりきれない子どもです。その未熟さが人間らしくて魅力的でもあり、哀れでもあります。
メアと異なり、まっとうに人とつながることができたのが第4話の主人公の四ノ宮咲です。咲は同じ塾に通う成績優秀な和実を憎んでいて、勝ちたいという願いを叶えます。咲は和実との接触が多いわけではありませんが、母親同士の仲がよく、母親を通して和実の話を聞き、母親の不機嫌な態度に感化されて和実を強く意識しています。個人間の噂話から権力主導の差別扇動プロパガンダまで、よく知らない人を憎ませることは容易です。その分断を乗り越えるためには、対話するしかありません。メアもこの成功例から学んでもらいたいですが、いまの段階ではまだ難しそうです。
細かい点ですが、第3話でテキストとイラストにずれがある点が興味深いです。第3話の主人公の文絵は、もうひとりの犠牲者の清香が身体的接触を苦手としていることを知ったばかり。ふたりでメアから逃げている場面でも、テキストでは直接的に文絵が清香に触れている描写はありません。しかしイラストでは、清香の手を引いたり背後に寄り添ったりしています。理屈ではわかっていても、実際に化け物に襲われてるという極限状況でその配慮ができるかというと難しいでしょう。テキストとイラストが解釈バトルをしているようにもみえます。
『天文子守唄』(山中恒)
1968年理論社刊。第9回日本児童文学者協会賞に決まるも辞退したといういわくもついている本です。京で長い長い戦乱が続いていた時代の物語。鬼童丸というおそろしい盗賊が跋扈していて、非道の限りを尽くしていました。しかし鬼童丸にも年貢の納め時がきます。鬼童丸に母を殺された少年に命を狙われます。
復讐する側の若者でなくされる側の老人に視点を置いているところが特異です。復讐者はムササビと名乗る10歳くらいの少年。ムササビは若く神出鬼没で、動物を操る特殊能力まで持っています。一方の鬼童丸は、すでに老いさらばえた状態。はじめはみくびっていた少年に次第に追い詰められていくさまが読ませます。鬼童丸の寝所にこっそりと刀を突き立てたり、マムシ責めにしたりと、ムササビも悪役の鬼童丸にひけをとらない残忍さをみせます。
ムササビによるもっとも恐ろしい復讐は、鬼童丸自身の母のことを思い出すように強いて人の心を取り戻させることでした。これにより鬼童丸は自分の罪を自覚し、自分が殺してきた人々の亡霊に悩まされます。そして、母を思い出したことは鬼童丸に救いももたらします。
この作品の一番の読みどころは、中盤のムササビと鬼童丸の森での共同生活の場面でしょう。鬼童丸も母を殺された過去を持つことを知ったムササビは、鬼童丸をゆるし奇妙な絆を感じます。ムササビは親しみのこもった「おじじ」という呼び方で鬼童丸に声をかけ、弱った鬼童丸を見捨てることができず介護のようなことまでします。人の命が軽く扱われる戦乱の時代を背景に、けっして相容れないはずのふたりが連帯する奇跡が美しいです。
復讐する側の若者でなくされる側の老人に視点を置いているところが特異です。復讐者はムササビと名乗る10歳くらいの少年。ムササビは若く神出鬼没で、動物を操る特殊能力まで持っています。一方の鬼童丸は、すでに老いさらばえた状態。はじめはみくびっていた少年に次第に追い詰められていくさまが読ませます。鬼童丸の寝所にこっそりと刀を突き立てたり、マムシ責めにしたりと、ムササビも悪役の鬼童丸にひけをとらない残忍さをみせます。
ムササビによるもっとも恐ろしい復讐は、鬼童丸自身の母のことを思い出すように強いて人の心を取り戻させることでした。これにより鬼童丸は自分の罪を自覚し、自分が殺してきた人々の亡霊に悩まされます。そして、母を思い出したことは鬼童丸に救いももたらします。
この作品の一番の読みどころは、中盤のムササビと鬼童丸の森での共同生活の場面でしょう。鬼童丸も母を殺された過去を持つことを知ったムササビは、鬼童丸をゆるし奇妙な絆を感じます。ムササビは親しみのこもった「おじじ」という呼び方で鬼童丸に声をかけ、弱った鬼童丸を見捨てることができず介護のようなことまでします。人の命が軽く扱われる戦乱の時代を背景に、けっして相容れないはずのふたりが連帯する奇跡が美しいです。
『まいど! ようかい不動産 203号室は、トイレの花子さんの部屋?』(緑川聖司)
ミステリとホラーに定評のある緑川聖司ですが、最近はショートコントやゾンビ算数など果敢に作風の幅を広げています。今回は、コメディ色の強い妖怪物語に挑戦しています。
妖怪相手の不動産業を営んでいた祖父が亡くなって、運の悪い小学四年生の幸樹がその仕事を引き継ぎました。職務は家賃の催促や妖怪が抱えるトラブルの解決など。さっそく家賃を三ヶ月も滞納している花子さんの部屋を訪問することに。花子さん・山姥・そして2026年を代表する妖怪である人魚と、この本には三体の妖怪との対戦のエピソードが収録されています。
各妖怪の性質をうまく取り入れたギャグが楽しいです。花子さんは三回ノックして名前を呼ばれたら出て行かなければならない習性があるので居留守が使えないのが哀れで笑えます。この作品の一番のおもしろポイントは部屋の間取り図でしょう。花子さんの部屋には単身世帯にはひとつあれば十分なはずのものがふたつあって驚かされます。
妖怪には肖像権使用料などを財源にした補助金が入るなどという細かい設定もつくりこまれています。それでも花子さんはお金に苦労しています。ここで、高齢者(花子さんは見た目小学生だけど七〇代後半)の貧困と生きがいという、極めて現代的な問題が浮かび上がってきます。他のエピソードもゆるく現代的な社会問題とつながっているところも、この作品の特色です。
まだまだ厄介なおもしろ妖怪はたくさんいそうなので、長いシリーズに育ってもらいたいです。
妖怪相手の不動産業を営んでいた祖父が亡くなって、運の悪い小学四年生の幸樹がその仕事を引き継ぎました。職務は家賃の催促や妖怪が抱えるトラブルの解決など。さっそく家賃を三ヶ月も滞納している花子さんの部屋を訪問することに。花子さん・山姥・そして2026年を代表する妖怪である人魚と、この本には三体の妖怪との対戦のエピソードが収録されています。
各妖怪の性質をうまく取り入れたギャグが楽しいです。花子さんは三回ノックして名前を呼ばれたら出て行かなければならない習性があるので居留守が使えないのが哀れで笑えます。この作品の一番のおもしろポイントは部屋の間取り図でしょう。花子さんの部屋には単身世帯にはひとつあれば十分なはずのものがふたつあって驚かされます。
妖怪には肖像権使用料などを財源にした補助金が入るなどという細かい設定もつくりこまれています。それでも花子さんはお金に苦労しています。ここで、高齢者(花子さんは見た目小学生だけど七〇代後半)の貧困と生きがいという、極めて現代的な問題が浮かび上がってきます。他のエピソードもゆるく現代的な社会問題とつながっているところも、この作品の特色です。
まだまだ厄介なおもしろ妖怪はたくさんいそうなので、長いシリーズに育ってもらいたいです。
『ユジンとユジン』(イ・グミ)
2004年刊。2020年に改訂版刊行。韓国YAの先駆けとされる作品だそうです。
中学二年生で同じクラスになった同姓同名のふたりのイ・ユジンが主人公。ふたりは「大きいユジン」「小さいユジン」と区別されます。大きいユジンは小さいユジンと同じ幼稚園だったことにすぐ気づきますが、小さいユジンはそれを否定します。その幼稚園の園長は性犯罪者で、ふたりのユジンも被害に遭っていました。
大きいユジンはアイドルにはまったり恋をしたり、それなりにふつうの中学生をやっています。小さいユジンは学年一位の成績ですが過去のことは忘れており、家庭もうまくいっていないようです。大きいユジンの彼氏が学年一位は自分の彼女だと勘違いするといった厄介イベントも発生します。
ふたりのユジンの語りの切り替えで家庭環境の差を露骨に出してしまう演出が残酷です。親の愛情ゆえの行動も子どもにとっては裏目に出てしまうこともあります。また、子どもへの愛情ゆえに正義の人から醜悪な差別者に堕してしまう親が登場するのも皮肉です。
大人への不満はやはり爆発させるべきです、そして、その先で食べた最悪に不味いカップラーメンが印象に残ります。児童文学では食べものをおいしそうに描く技術がもてはやされがちですが、つらさを際立たせる逆の技術にもまた価値があるものです。
中学二年生で同じクラスになった同姓同名のふたりのイ・ユジンが主人公。ふたりは「大きいユジン」「小さいユジン」と区別されます。大きいユジンは小さいユジンと同じ幼稚園だったことにすぐ気づきますが、小さいユジンはそれを否定します。その幼稚園の園長は性犯罪者で、ふたりのユジンも被害に遭っていました。
大きいユジンはアイドルにはまったり恋をしたり、それなりにふつうの中学生をやっています。小さいユジンは学年一位の成績ですが過去のことは忘れており、家庭もうまくいっていないようです。大きいユジンの彼氏が学年一位は自分の彼女だと勘違いするといった厄介イベントも発生します。
ふたりのユジンの語りの切り替えで家庭環境の差を露骨に出してしまう演出が残酷です。親の愛情ゆえの行動も子どもにとっては裏目に出てしまうこともあります。また、子どもへの愛情ゆえに正義の人から醜悪な差別者に堕してしまう親が登場するのも皮肉です。
大人への不満はやはり爆発させるべきです、そして、その先で食べた最悪に不味いカップラーメンが印象に残ります。児童文学では食べものをおいしそうに描く技術がもてはやされがちですが、つらさを際立たせる逆の技術にもまた価値があるものです。
『黒魔術師ガブリエラ 3 本物の人生』(長谷川まりる)
『アリーチェと魔法の書』のスピンオフ三部作の完結編。アリーチェの事件の28年前にガブリエラがしでかしたと噂される犯罪の真相が語られます。
第1話は社会変革の理想に燃える青年、第2話はすばらしい絵の才能を持つ少女が主人公を務めます。どちらのエピソードも人の自由意志と幸福をシニカルにみつめていて、苦みがあります。
第3話の主人公は神父。彼はガブリエラをして「もう二度と、善人の願いは叶えないからな。ったく」と言わしめるほどの、ガブリエラにとっては厄介な相手でした。彼は亡くなった妻子の蘇生を黒魔術師に依頼しました。死者蘇生など禁忌に決まっているし、聖職者ならなおさらです。しかし彼は最後までガブリエラに感謝して、かえってガブリエラに嫌がられます。
第1話は社会変革の理想に燃える青年、第2話はすばらしい絵の才能を持つ少女が主人公を務めます。どちらのエピソードも人の自由意志と幸福をシニカルにみつめていて、苦みがあります。
第3話の主人公は神父。彼はガブリエラをして「もう二度と、善人の願いは叶えないからな。ったく」と言わしめるほどの、ガブリエラにとっては厄介な相手でした。彼は亡くなった妻子の蘇生を黒魔術師に依頼しました。死者蘇生など禁忌に決まっているし、聖職者ならなおさらです。しかし彼は最後までガブリエラに感謝して、かえってガブリエラに嫌がられます。
「血を飲むな、同性を愛するな、自殺をするな、魔法を使うな。ルールはかならず、はみ出し者を苦しめる。時代遅れになる。いまはうまく機能できていても、いずれ人びとは嫌気がさし、神は見向きもされなくなるだろう。かといってルールを曲げれば、今度は正当性が疑われる。そんな脆弱なものに《真理》とやらはのぞめない」
どこまで本音なのかはわかりませんが、ガブリエラは第3話でルールと運命について饒舌に語ります。また、男にも女にも興味がなく恋愛や結婚について考えるだけで身の毛がよだつという自らの恋愛観を披露しているところも興味深いです。28年後の言動はどうでしたっけ?
そしていよいよ第4話で、アリーチェの物語につながる事件の顛末が明かされます。ここでのガブリエラのふるまいは完全に悪魔じみていて、おぞましさとかっこよさが際立っていました。そして、せっせと穴を掘るアウラとニマ*1のたくましさにも目を奪われます。黒魔術師の養子なのに「大事なのは真心」とか言ってしまうアウラとニマ。さて、ガブリエラの志は次世代に継承されるのでしょうか。
*1:穴掘りアウラ・ニマのイラスト、黒背景の奥付にも添えられているのが味わい深い。






