『まいど! ようかい不動産 203号室は、トイレの花子さんの部屋?』(緑川聖司)

ミステリとホラーに定評のある緑川聖司ですが、最近はショートコントやゾンビ算数など果敢に作風の幅を広げています。今回は、コメディ色の強い妖怪物語に挑戦しています。
妖怪相手の不動産業を営んでいた祖父が亡くなって、運の悪い小学四年生の幸樹がその仕事を引き継ぎました。職務は家賃の催促や妖怪が抱えるトラブルの解決など。さっそく家賃を三ヶ月も滞納している花子さんの部屋を訪問することに。花子さん・山姥・そして2026年を代表する妖怪である人魚と、この本には三体の妖怪との対戦のエピソードが収録されています。
各妖怪の性質をうまく取り入れたギャグが楽しいです。花子さんは三回ノックして名前を呼ばれたら出て行かなければならない習性があるので居留守が使えないのが哀れで笑えます。この作品の一番のおもしろポイントは部屋の間取り図でしょう。花子さんの部屋には単身世帯にはひとつあれば十分なはずのものがふたつあって驚かされます。
妖怪には肖像権使用料などを財源にした補助金が入るなどという細かい設定もつくりこまれています。それでも花子さんはお金に苦労しています。ここで、高齢者(花子さんは見た目小学生だけど七〇代後半)の貧困と生きがいという、極めて現代的な問題が浮かび上がってきます。他のエピソードもゆるく現代的な社会問題とつながっているところも、この作品の特色です。
まだまだ厄介なおもしろ妖怪はたくさんいそうなので、長いシリーズに育ってもらいたいです。

『ユジンとユジン』(イ・グミ)

2004年刊。2020年に改訂版刊行。韓国YAの先駆けとされる作品だそうです。
中学二年生で同じクラスになった同姓同名のふたりのイ・ユジンが主人公。ふたりは「大きいユジン」「小さいユジン」と区別されます。大きいユジンは小さいユジンと同じ幼稚園だったことにすぐ気づきますが、小さいユジンはそれを否定します。その幼稚園の園長は性犯罪者で、ふたりのユジンも被害に遭っていました。
大きいユジンはアイドルにはまったり恋をしたり、それなりにふつうの中学生をやっています。小さいユジンは学年一位の成績ですが過去のことは忘れており、家庭もうまくいっていないようです。大きいユジンの彼氏が学年一位は自分の彼女だと勘違いするといった厄介イベントも発生します。
ふたりのユジンの語りの切り替えで家庭環境の差を露骨に出してしまう演出が残酷です。親の愛情ゆえの行動も子どもにとっては裏目に出てしまうこともあります。また、子どもへの愛情ゆえに正義の人から醜悪な差別者に堕してしまう親が登場するのも皮肉です。
大人への不満はやはり爆発させるべきです、そして、その先で食べた最悪に不味いカップラーメンが印象に残ります。児童文学では食べものをおいしそうに描く技術がもてはやされがちですが、つらさを際立たせる逆の技術にもまた価値があるものです。

『黒魔術師ガブリエラ 3 本物の人生』(長谷川まりる)

『アリーチェと魔法の書』のスピンオフ三部作の完結編。アリーチェの事件の28年前にガブリエラがしでかしたと噂される犯罪の真相が語られます。
第1話は社会変革の理想に燃える青年、第2話はすばらしい絵の才能を持つ少女が主人公を務めます。どちらのエピソードも人の自由意志と幸福をシニカルにみつめていて、苦みがあります。
第3話の主人公は神父。彼はガブリエラをして「もう二度と、善人の願いは叶えないからな。ったく」と言わしめるほどの、ガブリエラにとっては厄介な相手でした。彼は亡くなった妻子の蘇生を黒魔術師に依頼しました。死者蘇生など禁忌に決まっているし、聖職者ならなおさらです。しかし彼は最後までガブリエラに感謝して、かえってガブリエラに嫌がられます。

「血を飲むな、同性を愛するな、自殺をするな、魔法を使うな。ルールはかならず、はみ出し者を苦しめる。時代遅れになる。いまはうまく機能できていても、いずれ人びとは嫌気がさし、神は見向きもされなくなるだろう。かといってルールを曲げれば、今度は正当性が疑われる。そんな脆弱なものに《真理》とやらはのぞめない」

どこまで本音なのかはわかりませんが、ガブリエラは第3話でルールと運命について饒舌に語ります。また、男にも女にも興味がなく恋愛や結婚について考えるだけで身の毛がよだつという自らの恋愛観を披露しているところも興味深いです。28年後の言動はどうでしたっけ?
そしていよいよ第4話で、アリーチェの物語につながる事件の顛末が明かされます。ここでのガブリエラのふるまいは完全に悪魔じみていて、おぞましさとかっこよさが際立っていました。そして、せっせと穴を掘るアウラとニマ*1のたくましさにも目を奪われます。黒魔術師の養子なのに「大事なのは真心」とか言ってしまうアウラとニマ。さて、ガブリエラの志は次世代に継承されるのでしょうか。

*1:穴掘りアウラ・ニマのイラスト、黒背景の奥付にも添えられているのが味わい深い。

『ヤミーのハピ*やみ洋菓子店 願いが叶うスイーツ、もっとおかわりどうぞ! 』(やすいやくし)

前巻のラストで神パティシエのヤミーは、悪行の報いを受け復讐者に壊されてしまいました。しかし、悪は何度でもよみがえるもの。このシリーズはスイーツのネーミングセンスがいいですが、イキノコリーフパイからヨミガエリコリスキャンディにつなぐ流れは特に美しかったです。ヤミーは復讐者のアドバイスを受け、ハッピーな気持ちだけではなくいろんな感情を集めます。ヤミーとスイちゃんはさらなる人間の感情の機微を知っていきます。ヤミーの犠牲者にとっては災難でしかありませんが。
今巻でもっともおもしろかったのは、第6話の「ウバイアイスクリーム」。仲の悪い美人双子姉妹の物語です。学校では人気取りのために百合営業をしていますが、お互いに抱いている感情がガチの〈嫌悪〉と〈怒り〉。険悪な姉妹に挟まれて佇むことで、ヤミーのかわいさが引き立てられます。しかしヤミーもヤミーで、その状況でちゃっかりお代をいただくのは悪すぎないか?
今巻のラストでは、これまたきれいに幕引きがなされてしまいました。本人の意思でそうしたのであればそれは尊重されるべきとも思えますが、悪は何度でもよみがえっていいので、おかわりがあればあったでうれしいです。

『0番書庫 あなたが選ばれました』(黒史郎)

猛暑でプールの授業が中止になって、急遽図書の時間に変更されました。五年生の湊が不満たらたらでタブレットで本を探したところ、『0番書庫所蔵につき閲覧禁止(書名不詳)』というのを見つけます。「なにが起きても、一切の責任を負いません」という注意書きまであるのに、湊はかえって好奇心を刺激されてこの本を借りてしまいます。
作中作は「安義橋の鬼」や「六部殺し」などの古典怪談の再話です。しかし、謎の本が導く枠外の怪奇現象が恐ろしいです。第3話の冒頭で湊は、カタツムリに対する苦手意識を表明します。

身を守るときや冬眠をするときは、殻のなかにとじこもる。
そのとき、グニョグニョの体はどうなっているんだろう。
やっぱり、ぐるぐると渦をまいているんだろうか。

渦・螺旋に対する恐怖がはてしないものへの恐怖に接続され、ラストの絶望にもつながっていきます。
この本のカバー袖には、「この本、かならず二度、〈第一章〉を読んでしまうことをお約束します。」との煽り文句があります。本格ミステリの読者がこれをみたら、おそらく叙述トリックがあるのだろうと身構えて読むことになりますが、そういうふうになるの!?
この本にはもうひとつ、最後に驚かされたところがありました。これはわたしがうかつな読者で当然読む前に確認すべきことを怠っただけなのですが、巻末に『夏の庭』や「ウェストールコレクション」の広告があることを意外に感じてしまいました。ソフトカバーで薄い本だったので、背表紙に「BFC」のロゴがあることを見逃してしまっていました。堅い名作路線の印象の強い徳間の児童書でこういう作品が出たのは、目新しい感じがします。

『ぷくぷく号のぼうけん① 飛行船ぷくぷく号、誕生!』(渡辺鉄太 /文 横山寛多/絵)

団地の近くでたんぽぽ理容室という床屋を営んでいる野口さんが手作りの飛行船で冒険する話です。
巻頭に、「この物語は、みなさんのお父さんやお母さんが子どもだった、20世紀終わりごろのお話です」という断り書きがあります。商店街が衰退し残っているのは床屋1軒だけで、主人公は中年独身男性*1という、日本の衰退が加速しはじめた時期の様子がみられます。とはいえ、本来の読者の子どもからすれば、たまに飛行船が浮かぶ風景が見られるのんびりした過去の話だと受け取れるかもしれません。
飛行船設計の様子が図を交えて緻密に説明されているので、そういうのが好きな子にはサービス満点です。第1話では、実験のつもりで理容室の2階のベランダに飛行船をつないでヘリウムガスを入れたところ、ベランダをゴンドラのようにして浮き上がってしまいます。やはり冒険は、思いがけなく始まるのがいいですね。野口さんは夜の空の旅を満喫しますが、着陸する手段を用意していなかったので一苦労します。
90年代末がいかにも童話的なのどかな時代として描かれているところには、ちょっと驚かされました。

*1:主人公が中年独身だから未婚化・少子化という衰退に結びつけるのはやや言いがかりで、そもそも大人が童話の主人公を務める場合、独身であることは珍しくない。家族がいたら自由に冒険しにくいし。

『魔女と家族になる方法』(木地雅映子)

子どもの苦境に全然共感を示さないタイプの毒親に悩まされている小学四年生の玲は、ある日金の卵を産むめんどりのコケコを拾います。そして、コケコを管理している魔女のヌイから悪さをしたと勘違いされ、殺されかけます。コケコの説明で誤解が解けると「えへ、ごめんね?」と軽いノリで謝罪され、なんやかんやあって玲は毒親から離れヌイを保護者役にします。
そこからの玲の運命の転変は、予想がつきません。なにがどうしてこうなったと茫然とさせられる終盤の大魔法バトルまで一気に読ませてくれます。
「魔法」を使う上位存在が非常に長いスパンで人類史を導いているという設定は、長谷川まりるの『13人の魔女への扉』に近いです。児童文学では珍しいSF的な発想の作品が同時期に出たのは興味深いです。『魔女と家族になる方法』では、長いスパンで家族のあり方が検証されます。玲は過酷なできごとにもてあそばれますが、子どもはいるべきでない場所にはいるべきではない、子どもは保護されるべきという思想が作中を貫いているので、そこは安心して読めます。
ただその思想は、反転させると選良でなければ子どもを持つべきではないという極端なものになりかねない懸念はあります。特に母親に求められる条件が厳しく、母性に聖性を求める旧弊的な価値観に退行しているのではないかという疑念も持たれます。そのバランスが難しいと感じさせられました。