『奇妙でフシギな話ばかり』(ブルース・コウヴィル)

アメリカの児童文学作家ブルース・コウヴィルのファンタジー短編集。
時節柄どうしても気になってしまうのは、政治批判色の高い作品です。岩波少年文庫のホラー短編集『小さな手』にも収録されていた「首を脇に抱えて」は、戦争に反対したために斬首された若者の死体が、どこにでも行けるという死者の特権を行使し、落とされた首を抱えて王の寝室に赴き抗議するというストーリーです。「ぼくはあなたの正体を知っている。殺人鬼で盗人で、とても王になるような人ではない。あなたは国民の命を盗みつづけてきた。」という死者の抗議の声の深刻さは、アメリカの人にとっても日本の人にとってもますます重大なものになってしまいました。
星条旗――かつての栄光」は、2041年の近未来のアメリカの少年が、反政府的な思想を持つひいおじいちゃんを密告する話。野外ステージで星条旗を焼くパフォーマンスをしていたひいおじいちゃんは、その場で射殺されます。少年は自分の行動に「わくわく」し、恐怖を感じるのはみんながひいおじいちゃんのように自由な思想を持つことです。本来のアメリカの理想から決定的にずれてしまった少年の姿はおぞましいですが、同時に哀れさも感じられてしまいます。
こういう暗い話ばかりだと気が滅入ってしまうので、箸休め的なドタバタファンタジーも紹介します。「ぴっかぴかの部屋」は、絶対に散らかしたい汚部屋主と絶対にきれいにしたいブラウニーの負けられない闘争の物語です。絶対に相容れないふたりですが、一緒にいるうちに情がわいてきて奇妙ななかよしコンビになる過程が楽しいです。
どんな趣向の作品も総じてレベルの高い短編集ですが、とりわけ印象に残るのは運命の奇妙さを感じさせる神秘的な作品群です。「天使の箱」は、幼少期に天使から箱を託された男の物語。男の一生は、周囲の無理解や箱を奪おうとする人外の存在などの、受難に満ちたものになりますが……。
ユニコーンの角の指すところ」も、幼少期に伯父の家で見たユニコーンの角に魅入られてしまった少年の物語。伯父からは角に近づくことを禁じられていましたが、少年は奇妙な衝動に導かれて、その角で自分の心臓を貫きます。そこからさらに思いがけない運命の転変が展開されます。人には運命や使命のようなものがあるのだと思わせる神聖な雰囲気に圧倒されます。

『姫さまですよねっ!?  弐 でっど! or あらいぶ! 竜宮城で大ピンチの極み!!』(ソウマチ)

「光る島へ行くぞ! 唐変木っ!」
「竜宮城へ行くでおじゃる! オッペケペー!」

秀吉の双子姫のハチャメチャな大冒険の物語第2弾。双子姫のスケールはお城では収まらず、忍者衆を従えて航海に出ます。もともと優秀だった姫君が忍者から護身術まで学んでしまっては虎に翼でどうすることもできません。行き先について争っていたところ、てっぺんに黄金の竜像を載せた巨大建造物を発見。竜宮城に着いたと大はしゃぎでなかに入ると、体中に海草を生やした化け物が這い寄ってきて、またも大騒動が巻き起こります。しかし、忍者衆でも手に負えない双子姫を城のなかに封印できていた乳母軍団は、ものすごく優秀だったんだな……。
さて、物語はイルカや怪鳥や竜(?)が暴れ回り、陰謀あり、スイカ大の爆弾が大量にありで、大騒ぎ。作中では複数の勢力が入り乱れていて実はけっこう複雑なんですが、ギャグの勢いとパワーで押し切っているのでそれを感じさせません。1巻と同様終盤では種明かしパートがあるので、すべて姫君の策略通りに進んでいることに安心できるのと同時に、そのあまりの聡明さにおののいてしまいます。
あとがきもいいです。このあとがきを書ける人には、長く児童向け娯楽小説を書き続けてもらいたいです。

『宇宙ランド2100 堀晃ジュニアSFコレクション』(堀晃)

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ハードSFに定評のある堀晃の児童向け作品を北原尚彦がまとめた本です。堀晃も関わった小松左京脚本の幻のSF人形アニメの絵コンテも収録されている、日本SF史を語る上で資料的価値の高い本にもなっています。なにしろ、小松左京全集にも収録されておらず年譜にも記載がないそうです。以下、特に好きな作品をいくつか紹介します。

「猫と交差点」(「高二コース」1971年1月号)

大型トレーラーの交通事故の模様を血なまぐさく描くはじめのシーンが衝撃的です。それがシュレ猫的な予見装置の開発に関わってきます。テクノロジーの暴走への恐怖というテーマは現代も色褪せておらず、ラストの「巨大な交差点で迷っている黒猫のイメージ」が印象に残ります。

「宇宙ランド2100」(「小学四年生1982年1~3月号」)

「お正月は宇宙で祝おうか。」という冒頭のセリフで一気に物語の世界に引きこまれます。2100年の少年サトルは、宇宙ランドという宇宙遊園地に遊びに行きます。宇宙エレベーターで上昇していくサトルは、日が沈むのが遅いことに気づきます。お父さんはその理由を「太陽が沈むのと、このエレベーターが昇るのと、競争しているからなんだよ。」と説明します。サトルは日没を背伸びして眺めたことを思い出し、その大がかりなものなのだと理解します。ここで、童話的想像力と理屈がみごとに融合します。童話的想像力と理屈は相性がよく、佐藤さとるの理屈系のファンタジーなどが思い出されます。

『地球は青い宝石』(ペップ21世紀ライブラリー・1991年)

豪華SF作家陣が参加していた児童向けSF叢書〈ペップ21世紀ライブラリー〉の1冊。1990年前後に刊行されていたこのシリーズも、いまではすっかり入手難になってしまいました。
「第二あかつき計画」という、火星に小惑星を落として数万年計画でテラフォーミングしようという大事業が、物語の軸です。山でサバゲーをしていた小学生タカシは、宇宙から飛来したしゃべる石ルビイと出会います。タカシは「第二あかつき計画」に巻きこまれ、宇宙に飛び出します。
広い宇宙と大きな時間がもたらすワンダーを存分に感じさせてくれるとともに、冒険小説のスリルも味わわせてくれます。最後には当然、不思議な友だちとの感涙必至の結末が待っています。まさにジュブナイルSFの王道の佳品です。

『百十三代目の司書見習い』(スチュアート・ウィルソン)

オーストラリアの児童文学。舞台となる国には、13歳の子どもが召命の日に自分が見習いになる職業を決めるという制度がありました。オリバーは元警察官の父の期待に応えるため、優秀な姉たちが就いている仕事の試験を受けるもののことごとく落ち続け、進路として全く考えていなかった司書見習いになります。ところが最初の出勤日に司書が突然死。なにもわからないまま図書館を開けなければならない事態に陥ります。
就職活動で惨敗しやっとありつけた仕事ではろくな引き継ぎもなくワンオペで回さなくてはならないと、おとなが読むとリアルに心臓がキュッとなってしまう設定です。襲い来る利用者たち、死体、コウモリ、死体、触手。息つく暇もなく図書館とは思えない物騒な騒動が巻き起こります。かわいそうなオリバーの味方は、警察や魔法使い・探検家とやたら武闘派揃いの5人の姉と、9匹のネコくらい。いや、これだけ味方がいれば大丈夫……なのか?
シリーズものの1巻ということで、これ単独だとドタバタしていておもしろいという感想で終わってしまいます。世界には隠されていることがたくさんあるというほのめかしだけまきちらされ、せっかくの5人の姉も生かしきれていません。5人の姉が本格的に活躍しはじめたら盛り上がりそうなので、続刊も邦訳が出ることを期待したいです。

『怪盗うみねこの事件簿』(阿津川辰海)

いまもっとも注目されているミステリ作家のひとりで、はやみねかおるへのリスペクトを表明している阿津川辰海の初の児童向けミステリということで、期待度の高い作品です。
小学六年生のケンは、夏休みに親戚の住む海辺の町「うみねこ町」に遊びにきました。その町では、「怪盗うみねこ」と呼ばれる怪盗が跋扈していました。高台のお屋敷にある笹に子どもがなにかを盗んでほしいという願いごとを書いた短冊を結びつけると怪盗うみねこが盗んでくれるシステムで、ちょっと不思議なのはうみねこが盗み出すものは価値がないように思えるものばかりだったということ。ケンといとこのヒサト、ヒサトの友人のカオリが三人組の探偵団を結成し、怪盗うみねこの謎に挑みます。ヒサトの兄が黒ずくめでマジックが得意という怪しさ大爆発の人物なのですが、そこには目をつぶっておこう。
うみねこがどうやって盗みを成功させるのかというトリックの部分と、依頼人はなぜそれを盗んでもらいたかったのかという動機の部分、謎を明確に分割してくれているところが、ミステリ初心者に親切です。その謎もどうやっても不可能だろうと思えるものばかりで興味を引いてくれます。最初の事件で怪盗が狙うのはケンがたまたま入手した図書館の除籍本の『Xの悲劇』で、どうやって獲物の所在を知るのかという時点で無理ゲーのように思われます。二番目の事件では依頼人が「とく名希望」で、獲物の届け先をどうやって怪盗は突きとめるのかというところから謎が出発します。
ミステリとしての完成度は当然高く、結局は子どものためになることをしているうみねこの思想にははやみねイズムが継承されていて、はやみね門下生のハイパー優等生といった感じの作品に仕上がっています。ただ一点、不気味なポイントもあります。それは、犯人に対してケンが感じていたこわさが、犯人の思想に触れることで解消されたことです。子どものためにという善意は、支配欲にも裏返ります。作中にも出てくるミステリ用語でいうなら、「操り」にも関わってくる問題です。このあたりは、結局教育者であることから脱しきれなかったはやみねかおるへの批評とも受け取れるかもしれません。

『ミャルル・ペローに出会った夜』(野中柊)

野中柊は、他の児童文学作家にはない独特の味わいの作品をものす作家です。なにしろ野中柊は、短命に終わった文芸誌「海燕」出身*1という文学界でも激レアな存在。おしゃれで軽やかだけどどこか退廃的な20世紀終盤の純文学の香気を漂わせています。
旅ねこのニッキは、星の明るい夜にミャルル・ペローと名乗る銀色のねこに、立派なお屋敷に招かれます。ごちそうでもてなされたあとは、様々な靴の展示を見せてもらいました。実はこの建物は、あらゆる時代の靴を収集するミュージアムだったのです。それも「ミャルル・ペロー」という名前から察しがつくように、有名猫の長靴とか赤い靴とか、童話でおなじみのものばかり。ニッキは不思議なミュージアムで思いかげない一夜を過ごします。
たくさんの靴たちとのダンスパーティーあり、巨大靴のドタバタありで、楽しい夜が更けていきます。そのなかで、ニッキの心のやわらかい部分にそっと触れる優しさが好ましいです。途方もない寂しさのなかに隠されている生きる喜びを、優雅に掘り起こしています。

*1:海燕」出身で児童文学に縁が深いのは、ほかに角田光代小手鞠るい藤野千夜など。こうして並べるとくせの強い作家ばかり。

『広告の探検にでかけよう! ほしいものは自分で決める』(エリカ・ファイビー 文 イアン・ターナー 絵)

広告が使用しているテクニックを知ることによって騙されないようにしようというコンセプトの絵本。内容は盛りだくさんでかなり高度で、岩波ジュニア新書1冊読むくらいの学習ができます。
盛りだくさんの内容を整理するために、新製品のフーセンガムとリサイクルサービスを売り出すという設定で軸を作ってくれているのが親切です。
出した情報の復習を読者にさりげなくさせているところもうまいです。序盤で「障害者を主役にした広告をどのくらい見たことがあるだろうか?」と問いかけ、その後(「健常者」にとっての)必然性なく車椅子ユーザーを画面に出しています。また、黄金比による視線誘導のテクニックを紹介した後に、特に説明せず似た構図の画面を出したりもしています。
細部をよく見ると、ちょっと笑えるところもあります。当たり前のことを自慢げにアピールして優良誤認させるテクニックを解説し、「コレステロールゼロ」をうたったネコ砂のパッケージを提示しているところなど。ネコ砂だったらさすがに騙されないんですけど、騙しのプロはいろいろ悪辣なことを考えてくるので、これを避けるのもなかなか難しいんですよね。
難しい内容を幅広い年齢層の子どもに読んでもらうための工夫がそこかしこに見られます。小中高どの学校図書館においてもよさそうです。