『はなしをきいて』という邦題*1は、子どもたちの置かれている困難な状況を的確に表しています。とにかく大人は、子どもの話を聞きません。ヘイゼルの親は育児書マニアというおもしろ趣味を持つ善良な人ですが、ヘイゼルがタイラーについて文句を言うと、ヘイゼルはタイラーのことが好きなのだと曲解します。ヘイゼルは女性校長のウェストに拒絶されると、「フェミニストっていうのは、こういうことがあったとき、女性を信じるものじゃないんですか?」と問いかけます。もし校長が良心を持ちあわせていたなら、この抗議は痛いはずです。しかし校長はこう突き放します。
「でも、あなたはまだ女性じゃありません。ほんの子どもでしょう。年齢にふさわしい行動をとっていれば、こんなことに煩わされずにすむんじゃないですか?」
まったく、弱者の口を塞ぐためなら理屈はいくらでもつけられるものだと、感心してしまいます。
しかし、個人の倫理観のみを追及すると、問題の本質を見失ってしまいます。作中には、女性校長のウェストやタイラーの母親など、女性でありながらセクハラ加害者の男性に荷担させられる女性が登場します。たかがチーズケーキ野郎ひとりがこれほどの力を持ってしまう構造的な悪に目を向けなければなりません。
こういうときに救いになるのは、やはり女子同士の連帯です。ヘイゼルはエラ・クインとその一番の親友のライリーについて、どうせスクールカースト上位女子と取り巻きその1であろうと、悪い先入観を抱いていました。その先入観はすぐに打ち砕かれます。エラ・クインはスピーチが得意なくらいですから知性的で、ライリーも母親とふたりで森のなかのログハウスに住んでいるという謎めいた強キャラっぽい設定持ち。もともとユーモアのセンスに優れているヘイゼルとこのふたりが打ち解けてわいわいやりだすと、とても愉快な空気になります。敵は強大ですが、ここに大きな希望もあります。
*1:原題は『Hazel Hill Is Gonna Win This One』