『再会の日に』(中山聖子)

陽架は母親とふたり暮らし。頼れる親戚は母の妹で漫画家の真尋ちゃんだけです。昔は父親と妹がいましたが、モラハラ体質の父親に耐えられず母親は娘ふたりを連れて逃げ出しました。その後、父方の祖母が妹の未怜を連れ去りました。そのときに妹の手を放してしまったことを、陽架はずっと悔やんでいます。
胃の痛くなる毒親児童文学を得意とする中山聖子が、これまた格別にいやな設定を用意してくれました。病気になった真尋ちゃんが譫言のように未怜の名を呼んだので、陽架は真尋ちゃんのために妹を連れてこようと決意します。クラスメイトから塾で「佐縁馬」という父方の珍しい苗字を聞いたという情報を得ていたので、塾で待ち伏せをしました。しかし絵に描いたような感動の再会とはならず、妹に父親の悪い癖がうつっていたりと想定外のことが続きます。
ほかにも作品は、小さな棘をいくつも用意して陽架を苦しめます。なまじ母親と真尋ちゃんというなかよし姉妹のロールモデルが身近にいることとか、妹のほうが頭がよくて美人であることとか。
そして作品は、わからないことを自分側の都合で解釈することの暴力性という問題に踏みこんでいきます。祖母のしたことは陽架側からみれば拉致事件ですが、向こうには向こうの言い分ほあるでしょう。真尋ちゃんは物語の作り手という立場から、次のように言います。

漫画家なんてやってると、つい心配したり後悔したりしすぎちゃう。頭のなかで想像したことがふくれ上がっちゃうんだよね。それで、未怜の気持ちも生活も生活もなにも知らないくせに、勝手にかわいそうだなんて思ってた。それって未怜に失礼だよね。

真尋ちゃんは近所のファミレスをモデルにした漫画を連載しています。これもモデルにされた側が知ったら、場合によっては気持ち悪いと思われるかもしれません。
そういった問題を踏まえたうえで、家族の関係の修復の可能性は閉ざし、新たなステップに踏み出します。クライマックスの植物公園の場面の、苦みのある美しさが印象に残ります。