『ガラスの壁のむこうがわ』(せいのあつこ)

ガラスの壁のむこうがわ

ガラスの壁のむこうがわ

小学生女子のスクールカーストのありようを残酷に描いている作品なので、読者によってはクリティカルなダメージを受けるおそれがあります。取扱いに注意が必要な作品です。
では、どのように残酷なのか内容をみていきましょう。主人公は、友達ができないためいつも母親に心配されている小学5年生の由香です。ある日、クラスの最上位のカーストからこぼれ落ちそうになった曽根さんに話しかけられ、一緒に遊ぶ約束を取り付けます。母親は大喜びしますが、曽根さんはあっけなく元のグループに復帰し、約束を反故にします。空気を読めない由香が近づいていくと、「あまり私を悪者にしないで」と言い放たれます。
「あまり私を悪者にしないで」というセリフがすごいですね。カースト上位の者は下位の者を踏みつけにする権利を当然持っているので、その権利を行使したからといって悪者扱いされるのは不当なことだとみなしているわけです。
由香のおじさんも友達がなかなかできない人で、人生で初めてできた友達が詐欺師で大金を騙し取られたというかわいそうな人生を歩んでいました。児童文学に登場するこのポジションの大人には、「シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」みたいなうまい決め台詞を言ったり、論理的な言葉でスクールカーストの仕組みを解き明かしたりしてもらいたいところです。しかし、このおじさんは本物の社会不適合者なので、そのような役割は期待できません。ただ、絵を描く姿を見せ朴訥とした言葉で自分の絵の描き方を語ることで、由香に人生の指針を与えます。このおじさんの姿が救いになっているのかどうか、読みの分かれるところだと思います。
由香はやがて絵の得意な篠沢さんと親しくなりますが、篠沢さんは由香よりも絵のうまい仲原さんと仲良くなっていきます。由香は仲原さんに嫉妬し、仲原さんを排除したいという気持ちを持つようになります。

……いじめる人は悪い人で、わたしはいつもいじめられる人だから、わたしは悪い人じゃないはずだった。(p173)

物語は、由香に被害者の立場に甘んじることすら許しません。この追い込み方はむごいです。
まったくオブラートに包むことなくコミュニケーションが苦手な子が追い込まれていくさまが描かれているので、正直なところ読むのがつらかったです。でも、こういうことをはっきりとシミュレーションしてみせる作品は、学校で困っている子どもになんらかの手がかりを与える役割は果たせます。実用的な児童文学として評価されるべきでしょう。