『洪水の前』(赤川次郎)

2017年から2018年にかけて汐文社から、若い読者向けに赤川次郎の短編を編んだアンソロジー〈ミステリーの小箱〉が全5巻で刊行されました。赤川次郎なのでどれもおもしろいに決まっているのですが、ここでは〈自由の物語〉と副題が付けられ唯一の書き下ろし作品が表題作になっている『洪水の前』を紹介します。赤川次郎はあまりにも娯楽作家として優秀すぎるために、その社会派児童文学作家としての側面は忘れられがちになっています。自由を抑圧するもの、言論を封殺するものへの怒りが直截に語られているこの本では赤川次郎のその側面を味わうことができ、まさにいまこそ読まれるべき本になっています。
「愛しい友へ……」は、同じ工場で働く父を持つふたりの女子の運命が、工場の閉鎖によってわかれてしまう話です。絆を引き裂くものの悪辣さを描きつつも、それに負けない思いの奇跡も描くリリカルなファンタジーになっています。
終夜運転」の主人公は、アメリカの大統領と親しかったことが自慢の元総理大臣。彼は原爆投下前の広島にタイムスリップし、当時の市電の運転手をしていた女学生と出会います。その後同じく運転手をしていた母から、その女学生が自分をかばったために特高に拷問されたということを聞かされます。こちらも深刻な話ながらリリカルなタイムファンタジーになっています。オーソドックスな戦争児童文学の佳作として記憶されるべきです。
「日の丸あげて」は、警察を退職し団地で生活する老人が、すべての団地の住民に祝日に日の丸を上げされる活動をする物語です。赤川次郎は一流のエンタメ作家なので、警察の権力も使って精力的に非国民狩りをする老人に読者のヘイト向けさせる手つきがうまいです。人から自由を奪うために世間を利用する手口のいやらしさには、戦慄するしかありません。
表題作「洪水の前」では、海外出張から帰った男が、小6の息子が疎開したという意外な話を聞かされます。この作品でも世間の暴力は苛烈で、集団がひとつの方向に転がり落ちることの怖さが描き出されています。

たとえば、自然災害に怒ってみても仕方ない。しかし、それを防ぐ手立てをおろそかにしていたこと、その後の対応を怠けていることには怒るべきだ。
それを「諦めることが日本の美徳」のように言うのは、結局、同じ被害をくり返すことに加担することだ。(p236)