『地の底へ行くんだ』(杉山径一)

『けむりの家族です』に続いて杉山径一の昭和アングラ児童文学を読んでみました。1973年、小峰書店刊。イラストは小林与志です。
主人公の少年一平の元に奇妙な手紙が届けられるところから、物語は始まります。それはしゅりけんのようなばかでかい針でふとんに縫い付けられていて、周囲には土足のあとがついていました。家にも逃げ場のない恐怖、大きな刃物という直截的な暴力性におびえさせられます。しかし、一平はなかなか肝が据わっていて、自分のまくらがちょうどいい針山になると、それを「ぶつり!」と突き刺してしまいます。
手紙の差出人は、以前一平の家の縁の下に穴を掘って住みついていた土方さん一家でした。そのことを知った一平の父親は激怒して穴を埋めてしまいました。そのため土方さん一家は、一平の一家を恨みながら横穴をどんどん掘り進んでいったのだといいます。自分の家の下に他人が住みついているというのは恐怖ですし、土方さんたちの思いはどう考えても逆恨みとしか思えません。土方さんは一平の元に案内人を寄越し、彼らが到達した地下世界へといざないます。
作中の対立構図を整理してみましょう。まず、地上の世界(おもて)と地下の世界(大穴里)の対立があります。しかし地下の世界も一枚岩ではありません。地下世界には急速に近代化の波(根本国)が押し寄せてきていて、近代的な制度と蛍光灯の明かりとコンクリートによる支配が強まっていました。そんななかで体制に順応する人々と順応しない人々の対立が生まれます。
このような人々は貧困などの理由で社会から排除されたのだから社会が包摂すべきと考えるのか、包摂から逃れたいと思う人々の自由を尊重すべきと考えるべきなのか、これは非常に難しい問題です。少なくともこの作品は、包摂を拒む人々に想像力を及ぼそうとしているようにみえます。
しかし、彼らが選んだ環境はあまりにも過酷です。肉体的に頑健であることが生き延びるための最低条件、地下の世界はいつも死と隣り合わせです。大穴里には、年をとって役に立たなくなった人が行く〈だんまりが原〉という姥捨て山的な場所もありました。一平も握らされた棒に引っぱられて何時間も走らされたり、頭に袋をかぶせられて狭い穴のなかをくぐらされたりと、一歩間違えたら命を落としかねない目に遭わされています。
そして、再会を果たした土方さん一家は、白髪になったり視力が衰弱したりしていて、お面をかぶった異形の姿で登場しました。そして、赤ん坊が「土の子」になったこと、つまり亡くなったことを平然と告げ、一平をドン引きさせます。小学生がこんなものを読まされたら、強烈なトラウマになるでしょう。
ところで、『地の底へ行くんだ』『けむりの家族です』のタイトルには共通する不気味さがあります。話し言葉のタイトルになっているので、この背後には話し手の存在があるはずなのですが、その顔が見えないため読者は居心地の悪さを感じさせられます。『地の底へ行くんだ』は、『(あいつらは)地の底へ行くんだ』とも『(ぼくは)地の底へ行くんだ』ともとれます。『けむりの家族です』も同様です。読者はふたつの解釈のあいだに宙吊りにされてしまいます。